| 逃亡と漂流と文庫本 |
『PLAYBOY』10月号が「人生が変わる旅の本100」という特集をしている。その特集で大きく紹介されているジョン・クラカワー『荒野へ』(集英社文庫)は一青年の放浪を描いて、ある種、静謐な香気にあふれている。大自然をめざして歩く青年が、アラスカの廃車になったバスの中で餓死するという事実よりも、両親とくに父親との不和が全編に重く横たわっている。だれもが好青年と認める繊細な善人は、親を毛嫌いして旅へ逃げるのである。その親はかれを愛してやまず、不在を嘆き悲しむ。
このノンフィクションの名作は、世界的なベストセラーとなり、映画化もされた。9月6日から日本でも全国ロードショーされる『イントゥ・ザ・ワールド』である。去年ぼくは、書店で何気なしに手にした。電車のなかでページをめくったが、ひとり静かな雰囲気で自分と向き合いながら味わうにふさわしい本だ。去年は中大ゼミで夏休みに読むべき課題本にしたのだが、だれもレポートをださなかった。さわやかではないが、旅をする人間の根源を問うている。若者の必読書とぼくは思う。
ぼくは23日、3回目の「乗り鉄」を楽しんだ。常磐線で水戸へ、水郡線に乗り換えて 郡山から都区内という地味で単純なコース。水郡線の常陸大子(ひたちだいご)で3両編成のディーゼル車両の1両を切り離したが、そのときわらわらとおじさんや若者が十数人ホームに降り立ち、連結器の切り離し作業にカメラを向けた。このローカル線に乗っていた独り身のおじさんや若者は「撮り鉄」を兼ねた「乗り鉄」だった。そこでぼくはきづいたね。「乗り鉄」の若者はケータイをいじらず、走行中文庫本を開いている。すなわち、文庫本を読んでいるひとり旅の若者は「乗り鉄」なのだと。
もちろんぼくも文庫本持参。『吉村昭の平家物語』と井伏鱒二の『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』と平家敗残もの2冊。このような逃亡記は旅ではあるが、はたして旅といえるか。『荒野へ』の主人公は家から逃亡するのだが、目標はアラスカという荒野であって、強い目的意識が後押ししている。この主人公は平家敗残一行と同じ移動手段は主として徒歩。平家落人伝説の集落は全国いたるところにあるのはご存じのとおりだが、旅の足のない時代、原野をどう辿って落ち延びていったのか、恐怖という逃亡エネルギーはなんと強力なのだろう。ぼくは本も開かず、ぼんやりと快走する列車の窓外をながめ、平和に力なく漂流したのであった。
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| 学校に銃持ち込みOK |
アメリカ・テキサス州北部ハロルド学区では、校内で教師が銃を所持することを認めることになった、とニューズウイーク日本版の最新号が伝えている。つまり先生が腰に拳銃をさげて授業をしてもいいということ。銃社会アメリカは、やるねえ。アメリカ国内にはおおむね国民1人に1丁、2億2000万丁の銃があり、毎年銃による死者は約3万人にのぼる。これには殺人以外に暴発や自殺も含まれるが。
毎年3万人超の自殺者を10年間もだしつづけてきた日本とアメリカとどっちが健全なのだろう。日本でアメリカ並みに銃所持を許容したら、自殺者や凶悪犯罪は残念ながら、もっと増えるにちがいない。アメリカで銃規制が進まないのは憲法修正第2条に「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」と定めているからである。
民兵とは武装市民のことで、独立戦争時、イギリス軍と戦ったのが正規軍ではなく、この武装市民であった。アメリカ独立の土台となった銃所持を認めないということになれば自己否定につながる。銃所持こそアメリカ建国の正統性につながるのである。それでなくても先住民のインディアンを銃で追い払って土地を奪った結果、アメリカの隆盛があるわけだから、その意味でも銃規制は自己否定に結びつく。
大量破壊兵器を開発したから攻撃するというブッシュのイラク攻撃は、明らかに犯罪的な誤りだった。攻撃に踏み出した心理的背景には銃使用を許容するアメリカのゆがんだ伝統があるだろう。ブッシュは「あの男(フセイン)はぼくのパパを殺そうとしたんだぜ」とパパブッシュの湾岸戦争を引き合いにだして攻撃した。まるで西部劇である。なにしろ、ブッシュ・ドクトリンは、アメリカが危機と感じたら先制攻撃をすることができる、という勝手乱暴な宣言だった。
ノーム・チョムスキーの著作によれば、アメリカの空爆は9・11のアルカイダ狩りのアフガニスタン攻撃(2001年)が戦後20回目。その後、イラク攻撃があった。アメリカは血も涙もない、ずいぶん暴力的な国といえよう。その暴力性は白人よりも有色人種に向かっている気がする。インディアンに理不尽な仕打ちをしたと同じように、アフガンでイラクで無辜の民を殺した。銃社会であればこそのひとの生命に対する鈍感さと無神経さがあるのではないか。オバマ候補の暗殺予測が杞憂に終わればいいが。
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| 作文の真髄は創造と独創 |
どんな世界遺産的な秘境も人間の心の奥底にはかなわない。現代に残された秘境はもはや、果てしなき人間の欲望と情動しかない気がする。金銭欲、権力欲、出世欲、性欲。殺人、窃盗、詐欺。犯罪や衝動など不可思議な心理や行動は人間の心の闇に属する。それと反対側に属するのが善意であり、プラス思考の独創性や創造性である。善意は悪意と心の一対をなすコインの裏表であって、だれしももつものだが、創造や独創はそうはいかない。作文も創造と独創によって左右される。創造と独創こそ人間がコンピュータに勝つ唯一の才能である。コンピュータは作文を書けない。だから作文力は大事なのである。
人類は狩猟採集社会から農耕社会に移行し、ほぼ200年前の産業革命によって工業化社会へと文明を進化させた。ここで人力に頼っていた労働が機械にとって代わられる。やがて、チャップリンの『モダンタイムス』が描くところの機械に使われる人間があたりまえになり、いまでは、交通信号のように機械に支配されるほうが安全安心だ。産業革命以降の工業化社会で人間が力を発揮したのは事務能力であった。ぼくはフランスで横断歩道の信号待ちをしていたら、車が来ないじゃないか、とお巡りに笑われた。
事務能力を必要とした工業化社会の学問・学習は、記憶と再生の繰り返し、あるいはその蓄積であった。5000年前に文字が出現して音声言語が文字によって記憶の固定化がなされたときから記憶と再生は学問・学習の核となる。それが一般化したのは500年前に印刷技術が登場して読み書きが大衆化してからである。
大砲の弾の弾道計算をきっかけに生まれたコンピュータが実用化したのは約50年前にすぎないが、その驚異的な発達が人類社会を劇的に変貌させたのはご存じのとおり。ぼくなんかそのスピードについていけない旧式の人間だが、ともあれ、大量生産・大量販売の工業化社会で膨大煩雑な事務処理を担当するのもコンピュータにとって代わられてしまった。だが日本の学問の方法は、いまだ記憶と再生が主流である。
記憶と再生という学問・学習分野でもコンピュータが人間の脳の代わりを事実上、果たしてくれるようになった。この万能に見える電脳機械は、文学や音楽や絵画を創造する能力はない。人間がコンピュータに勝つ唯一の才能は創造性・独創性しかないのである。コンピュータの街、秋葉原は人間が創造したのであって、コンピュータが考え出したものではない。そこで刺激を受けた若者が独創的なアイデアでなにかを書いたりしてくれれば、人間に残された最後の才能が生きるのである。作文はかくも深い意味をもつ。
作文はメディアに内定するだけの対策道具ではない。以上、外山滋比古著『思考の整理学』からだいぶ頂いた。ぼくの創造、独創ではない。だが、模倣から独創が生まれるんだよ。
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| ゲリラ豪雨の身延線乗り鉄 |
1回目に八高線に乗った乗り鉄の2回目は身延線だった。9日土曜日、東海道線で富士まで下って甲府行きの身延線に乗った。真夏の日が差し込まない進行右側のボックス席に座る。最初の駅から空いていたぼくの左に化粧の濃いおばさん席を占め、いきなりささやくように「ダイセキジって知ってますか」と声をかけてくる。見ると膝の上に日蓮聖人の載ったパンフレットをもっている。すると大石寺のことだ。話を切りたかったので「知りません」と答える。
「地元のひとも知らないのだから」とおばさんは言って、「地元の方ですか」と振ってくる。ぼくは聞こえないふりを決め込み、窓の外を見やっていた。おばさんは、関心を示さず冷たく無視するぼくには構わず、細い声でしゃべりはじめる。各駅停車ディーゼルカーの騒音にまじって「死後硬直」とか「末期がん」とか「信仰心」とか、断片的に陰気な言葉が聞こえてくる。
おばさんはそうして20分近く、1人で陰鬱に話し続け「大石寺はここから15分くらいです」といやにきっぱりと言って、真っ赤な鳥居の目立つ富士宮で下車していった。ホームの後ろ姿はやせも太りもせず、いかにも健康そうで軽やかだったが、このひとは神経を病んでいるのでは、とぼくは思った。家族のだれもまともに耳を傾けてくれないので、いつのまにか1人で長々と話す癖がついた、のではあるまいか。あるいは1人暮らし?
ぼくは幸先悪いなあ、と気分を害して山あいを快調に走行するディーゼルカーから、やせてひょろひょろした力ない杉が立っている杉林を見て、山は荒廃していると慨嘆していた。ふと左の窓に目をやると、なんと富士川が優美に蛇行している。東海道から甲府に向かうには左の席をとらねば、富士川の流れや川岸の砂模様は眺めることができないのだ。この身延線は車窓の富士川と富士山がため息ものの景色でね、それは「JR時刻表」5月号の表紙に採用されていることからもわかる。
途中の下部温泉駅でいったん下車して温泉につかり、そこから甲府まで名物特急「ふじかわ」に乗り継ぐ予定にしている。ところが下部温泉駅に着く寸前、黒い雲が緑濃い山すそまでたれ込め、稲光も激しい。小振りの駅舎に飛び込むと、雷鳴がとどろき、雨足は天の底が抜けたように路面を叩いて砕け散って洪水状に流れだす。ゲリラ豪雨。閃光が目を射ったとたんにどっかーん。耳わきで大砲でも連続して撃つような地球破局的な大雷雨である。老婦人が長いすに丸くなって「怖い、怖い」と人目もはばからず泣いている。全線不通、運休。ぼくはそこで3時間足止めをくらった。変な宗教おばさんが隣席に座ってから旅は妙になった。次回3回目の乗り鉄は身延線を逆の甲府から攻めてリベンジだね。
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| ぼくもラブレターを書いた |
反町Jも岡田Jもあと一押しの決め手を欠いて、日本サッカーチームはじつにもどかしいのお。反町Jは北京五輪初戦の対米国戦が夕食時にテレビ実況されたが、予想したとはいえ消化不良を起こしたひとも多かったろう。このすっきりしない、やるせないような心情はたとえば相手の気持ちがいまひとつはっきりしない恋愛感情に似ている。そこでひとは自分の心情を訴える手段に出る。
メール全盛の現在はどうなってるか知らないが、伝達方法が限られた以前はあと一押しの手紙作戦があった。ラブレター。はい、ぼくも学生時代、書きました。相手はやがて某局のアナウンサーになった楚々とした色白の美女。あまり口をきいたこともないサークル仲間。便箋13枚にびっしり書きつづったね。50年もまえだから、中身は1ミリも憶えてない。便箋の枚数だと返事がなかったので、つぎに絶交状を送ったことだけはしっかり記憶している。
石坂洋次郎の青春小説『青い山脈』には男子高校生が「恋しい、恋しい」と書くところを「変しい、変しい」と書いたというラブレター事件が出てくる。ぼくも変な部類の学生だった。絶交状をもらった彼女はびっくりしただろう。ストーカーみたいに受け取ったにちがいない。キャンパスで遠くからぼくを見かけたら走って逃げたからね。苦い思い出。
『世紀のラブレター』(梯久美子 新潮新書)には冒険家、植村直己がのちの公子夫人に宛てたラブレターも登場する。「(略)私のようなバカな人間は、とても公ちゃんに近づけるもので内ですが、私とて、人間にて、心を押えることができませんでした。俺のような悪人につかまったと、一生を棒にふってしまったとあきらめて下さい」(昭和49年3月17日。公子さんとはもう結婚を前提としていたが、決め台詞が「一生を棒に振ってください」とは、いいねえ。
植村夫妻とは取材を通して知り合い、板橋のお宅にも何回か伺った。10年の結婚生活ののち公子さんが未亡人になってから共通の知人と3人で南九州や三河などよく旅をした。冒険家はゴキブリが苦手だったらしいよ。予想外だね。予想とちがう面があるから世の中も人間もおもしろい。反町Jも予想外にゴールしてくれい。
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