ペン森通信
圧縮された日本に行った
定例の血液検査を3週間後にひかえている。なのに先週の土曜夜はペン森女子と神保町で飲んだ。日本酒4合。その日、昼前から彼女の所望で墨田区の木下川(きねがわ)地区を歩いてきて、彼女と話したい心境になっていた。木下川は皮革工場が集まり、ブタ皮のなめしが日本の7割以上を占めるところで、他の地域でランドセルや靴や鞄などの製品にされる。ぼくは44年前、墨田区や江戸川区や江東区や葛飾区の事件事故を担当する若い記者だった。皮工場群は四つ木橋の近くときいて、にわかに望郷的な興味がわいたのだ。

同行の彼女が手回しよく土曜日でも見学OKの皮工場にわたりをつけていた。荒川の土手沿いに歩を進めると、15分ほどで「東京都立皮革技術センター」の案内看板がでていて、旧木下川小学校にさしかかる。旧というのは、昭和11年に1062人を数えた生徒数が2003年25人にまで激減して、廃校になったからである。門注の校名ははぎとられ、鮮やかな赤茶に白くライン取りされた無人の校庭を4階建ての鉄筋校舎が見下ろしていた。児童の声も姿もなく、ただ空虚感がただよう旧小学校である。

付近は狭い道が入り組み、緑が乏しく工場が密集している。食料品店、理髪店、クリーニング、薬、病院、食堂なども見当たらず、ゴムの長靴を履いたアフリカ人らしき黒人労働者の姿が目立つ。快適な住環境とはいえない。目的の工場に着き作業中の黒人従業員に来意を告げると、背の高い黒人が運転していたフォークリストから降りてきて、わざわざ宿舎の同僚を呼んでくれた。「ボスは出かけている。呼ぶか」と同僚は外出社長の携帯番号を口にしはじめた。2人の黒人は下町ふうのひとのよさを引きついでいるようにみえた。

同行女子はあわてて、電話番号を知っている社長夫人に到着したむねを伝える。開けっぴろげで親切な夫人の案内で原料皮をなめし終えて、ブタの皮が首から尻まで1枚のうすい滑らかな皮に変化するまでの工程を見せてくれた。工場にはいると、すぐ血の付いた生皮が山積みされ、大きな段ボール状の7個のかごに最初の工程で落とした脂肪がみっしり満杯だった。大量の水を必要とするなめし業なので、床は一面水が浸みて、全体に臭気がムッとこもっている。帰宅後も獣臭い匂いが汗でぬれたシャツに付着しているようだった。

表面的に現象をみただけであったので、同行女子と飲み話していたら、疑問が立ちのぼってきた。皮革産業と人権問題の歴史、労働者に日本人の若者はなぜいないのか、学校廃校の遠因は、黒人はアフリカ人か、何人くらい働いているか、就業ビザは?どのようなルートでやってきて、給料は?住居は?休みは?従業員としてのかれらは優秀か。「ここは3K以上4Kだから」と自嘲した夫人。ここには、日本のある現実が圧縮されている。

44年前、黒人労働者は1人もいなかった。わからないことだらけになった現代日本。

セミの死骸をみて欲望せよ
ことしはセミの鳴き声が聞こえてくるのが遅かったような気がするが、もういまは盛りをすぎて公園の小道に死骸が点々と散らばっている。1週間程度の短いいのちを精一杯うたいあげて、小道に無数に散逸している亡きがらはひとが踏んでちぎれたり、アリがたかっていたり、どこか虚しく哀しい。自民党総裁選さわぎの最中、それは日本の戦後を担ってきた大政党の終末を暗示しているようでもある。平等の分配社会から格差社会へ、そして崩壊してゆく行く末。

路上のセミの死骸はさしずめ落選議員のなれの果てであろうが、一方で自分自身の末路を示しているようでもあって、あまり気持のいい心持ちではない。若いひとにはこういう感覚はわからないであろうが、ぼくは還暦をすぎたころから死を現実のものとして考えはじめた。若い時分には自分が還暦や古希を迎えるなんて、非現実的な思い描くことも困難なあわれな世界だったのに。未来だけがあったあの時代はどこに消えたのだろう。

街灯に照らされた夜の公園は、まだクマゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシの重なりあい複合した声が降っているが、それにまじって薮や草むらから虫の声も湧いてくる。朝の出勤時はセミの魂のぬけた亡きがらを踏まないように細心の注意をはらうのだが、夜はほぼ例外なく酔っている。足はおぼつかないし、足下も暗い。歩いていると、ときおりジジと断末魔の悲鳴を上げているから、ぼくもセミの墓場を踏み荒らして帰宅しているにちがいない。

地面の虫の音が地上のセミの声にとって代わると、季節はぼくの嫌いな秋一色に染まる。冬のつぎは否応もなく冬である。そのつぎには春がきてまた夏がめぐってくる。などと切れ目ない連続性に思いを馳せることになんの抵抗もなかったのは、上げ潮の50代までではなかったろうか。成長を終えた現在、ぼくの人生は爛熟期かもしれない。果物も女性も熟れすぎると、濃密濃厚な芳香が匂い立って辟易するが、ぼくは男だから爛熟しても熟れないのだね。無色無臭に枯れるのだ。と思いたい。

政治家はじじいになってもなまなましい。欲望がそうさせる。欲望があれば自然の摂理に反するように、いっこうに枯れない。セミは自然の摂理のままに果てる。ぼくもそうなることはわかっているのだが、それは若いときに高齢になっている自分が想像できなかったと同じく非現実的である。だが、生きている人間はだれしも、死へ向かっている。セミの死骸は将来のきみでもある。ほんの一時鳴いて果ててゆく、セミの末路をみて人生のこれからを考えるのも秋だぞ。欲望をもて!おれももつぜ。



われらは「掛け算」でいこうぜ
 福田辞任表明は絶好のタイミングだった。22日の自民党総裁選が21日の民主党代表選をすっかりかすれさせたからね。民主党代表選は小沢ワンマンでもう決まり。競争もドラマもなく、ただでさえ地味な民主党代表選びなのに、これじゃ自民党だけが話題を独占する。自民党は小池女史を候補に押し立てて、テレビの露出効果をねらってくるだろう。これに野田女史でもからんでくれば、視聴率とれるぜ。

 その意味では福田サラリーマン首相としては、自民党にとって当面プラスに作用したといえるね。発言は不平不満、愚痴、泣き言、捨てぜりふ満載の「引き算型」。そもそもこの1年、なにをやってきたのかもわからない存在感の希薄な、いじめられキャラだったから、マスコミは余計によだれを垂らして罵詈雑言のきわみでいじっている。おかげで北京野球・星野監督はバッシング直球がそれて胸をなでおろしているにちがいない。

 その星野の陰で首をすくめていたのが北京サッカー・反町監督。あれ、そんな監督がいたなあ、というくらいもはや懐メロ的で影が薄い。男子バレーの植田監督も北京行きが決まると、ばたっとコートの床に伏して「メダルをねらう」なんて大口をたたいていたなあ。みんな星野ぼろんちょ監督を筆頭に「客観的に自分を見ることができる」と迷台詞を吐いた福田なみの自己分析もできなかったということじゃないの。

 まあそれでも、ぼくみたいなねじれ人間にジャパンを冠にかぶった彼らは、格好のストレス解消剤をあたえた。ぎくしゃくと怖いいまの世の中でこれだけおおっぴらに国民的悪口をたたける機会なんて、そうそうないもん。ぼくにとってはいいガス抜きではあるね。だけど、利害関係者にとって彼らは期待が大きかった分、たまらんだろう。いまや「割り算人間」になりはてたね。つまり、内部から足をひっぱり、結果としてやがて崩壊へと導く、組織内で最低最悪の役割をはたす人間。周囲にもいるでしょ、このタイプが。

 反対に100キロ超級JUDOの石井、女子ソフトボール413球の上野、フェンシング初銀のニート太田、2冠連覇の北島などは「掛け算人間」だね。自分も掛け算的に上昇し、他人を掛け算的に元気づける。政治家には「掛け算タイプ」は見当たらないね。これは連日のテレビ出演を見ればよくわかる。よくいって提案型の「足し算人間」かな、ひとの発言中に割って入って、全体の発言内容を不明にさせる「引き算人間」が圧倒的に多い。若い諸君よせいぜい「足し算人間」か「掛け算人間」をめざそうぜ。




逃亡と漂流と文庫本
 『PLAYBOY』10月号が「人生が変わる旅の本100」という特集をしている。その特集で大きく紹介されているジョン・クラカワー『荒野へ』(集英社文庫)は一青年の放浪を描いて、ある種、静謐な香気にあふれている。大自然をめざして歩く青年が、アラスカの廃車になったバスの中で餓死するという事実よりも、両親とくに父親との不和が全編に重く横たわっている。だれもが好青年と認める繊細な善人は、親を毛嫌いして旅へ逃げるのである。その親はかれを愛してやまず、不在を嘆き悲しむ。

 このノンフィクションの名作は、世界的なベストセラーとなり、映画化もされた。9月6日から日本でも全国ロードショーされる『イントゥ・ザ・ワールド』である。去年ぼくは、書店で何気なしに手にした。電車のなかでページをめくったが、ひとり静かな雰囲気で自分と向き合いながら味わうにふさわしい本だ。去年は中大ゼミで夏休みに読むべき課題本にしたのだが、だれもレポートをださなかった。さわやかではないが、旅をする人間の根源を問うている。若者の必読書とぼくは思う。

 ぼくは23日、3回目の「乗り鉄」を楽しんだ。常磐線で水戸へ、水郡線に乗り換えて
郡山から都区内という地味で単純なコース。水郡線の常陸大子(ひたちだいご)で3両編成のディーゼル車両の1両を切り離したが、そのときわらわらとおじさんや若者が十数人ホームに降り立ち、連結器の切り離し作業にカメラを向けた。このローカル線に乗っていた独り身のおじさんや若者は「撮り鉄」を兼ねた「乗り鉄」だった。そこでぼくはきづいたね。「乗り鉄」の若者はケータイをいじらず、走行中文庫本を開いている。すなわち、文庫本を読んでいるひとり旅の若者は「乗り鉄」なのだと。

 もちろんぼくも文庫本持参。『吉村昭の平家物語』と井伏鱒二の『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』と平家敗残もの2冊。このような逃亡記は旅ではあるが、はたして旅といえるか。『荒野へ』の主人公は家から逃亡するのだが、目標はアラスカという荒野であって、強い目的意識が後押ししている。この主人公は平家敗残一行と同じ移動手段は主として徒歩。平家落人伝説の集落は全国いたるところにあるのはご存じのとおりだが、旅の足のない時代、原野をどう辿って落ち延びていったのか、恐怖という逃亡エネルギーはなんと強力なのだろう。ぼくは本も開かず、ぼんやりと快走する列車の窓外をながめ、平和に力なく漂流したのであった。

学校に銃持ち込みOK
 アメリカ・テキサス州北部ハロルド学区では、校内で教師が銃を所持することを認めることになった、とニューズウイーク日本版の最新号が伝えている。つまり先生が腰に拳銃をさげて授業をしてもいいということ。銃社会アメリカは、やるねえ。アメリカ国内にはおおむね国民1人に1丁、2億2000万丁の銃があり、毎年銃による死者は約3万人にのぼる。これには殺人以外に暴発や自殺も含まれるが。

 毎年3万人超の自殺者を10年間もだしつづけてきた日本とアメリカとどっちが健全なのだろう。日本でアメリカ並みに銃所持を許容したら、自殺者や凶悪犯罪は残念ながら、もっと増えるにちがいない。アメリカで銃規制が進まないのは憲法修正第2条に「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」と定めているからである。

 民兵とは武装市民のことで、独立戦争時、イギリス軍と戦ったのが正規軍ではなく、この武装市民であった。アメリカ独立の土台となった銃所持を認めないということになれば自己否定につながる。銃所持こそアメリカ建国の正統性につながるのである。それでなくても先住民のインディアンを銃で追い払って土地を奪った結果、アメリカの隆盛があるわけだから、その意味でも銃規制は自己否定に結びつく。

 大量破壊兵器を開発したから攻撃するというブッシュのイラク攻撃は、明らかに犯罪的な誤りだった。攻撃に踏み出した心理的背景には銃使用を許容するアメリカのゆがんだ伝統があるだろう。ブッシュは「あの男(フセイン)はぼくのパパを殺そうとしたんだぜ」とパパブッシュの湾岸戦争を引き合いにだして攻撃した。まるで西部劇である。なにしろ、ブッシュ・ドクトリンは、アメリカが危機と感じたら先制攻撃をすることができる、という勝手乱暴な宣言だった。

 ノーム・チョムスキーの著作によれば、アメリカの空爆は9・11のアルカイダ狩りのアフガニスタン攻撃(2001年)が戦後20回目。その後、イラク攻撃があった。アメリカは血も涙もない、ずいぶん暴力的な国といえよう。その暴力性は白人よりも有色人種に向かっている気がする。インディアンに理不尽な仕打ちをしたと同じように、アフガンでイラクで無辜の民を殺した。銃社会であればこそのひとの生命に対する鈍感さと無神経さがあるのではないか。オバマ候補の暗殺予測が杞憂に終わればいいが。