ペン森通信
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ソロで生きるということ
  きょう4月16日、朝日の文化欄に沢木耕太郎氏の奈良・東大寺での講演「ソロで生きる意識を」が掲載されていた。ソロとはひとりという意味。つまり、ひとりで生きる意識をもて、ということを力説した講演だったらしい。

 ぼくは永年、マスコミ界に志望の若者を送り込んできたが、その組織に定年までしがみついていてくれ、とは一言もいわない。ぼく自身、大学卒業と同時に新聞記者としてスタートしたが、22年間毎日新聞社に在籍したあと、転職した。ありていにいえばスカウトされて、ニューズウィーク日本版創刊の仕事に就いた。

 そのころ、サンデー毎日の副編集長をしていたが、目をかけられてスカウトされたというところに自尊心を刺激するものがあったね。ハード(紙質や活字の大きさ、字の大きさなど)とソフト(記事選択、タイトル付けなど)の両面からなる週刊誌づくりにはいささか自信があったのである。

 毎日新聞から転身したあとも、引きつづきマスコミ志望の学生が周りに集まっていた。講演「ソロで生きる・・・」を書いた朝日記者もそのひとりだった。女性的な名前だが、男性である。かれは朝日という大メディア組織にありながらソロ的な生き方を選んだ。古代ロマンに引かれ、だから明日香村古墳のある奈良から離れようとしない。

 組織に入ると、異動や同期生の動向が気になり、それが自分の欲望や心理や感情に反映して競争心を生んだりして組織は活性化し、個人の満足心にもつながってくる側面がある。
だが、それは組織のなかの価値観にすぎず、ソロ精神とは相容れない。ぼくはニューズウイーク日本版を途中でやめて、若い人をマスコミに送るソロになって現在にいたる。

 「ソロで生きると、1人で道を覚え、選択するが、集団だと全体について(いけばよく)考えない。同じ時間を生きていても濃さが違う」と沢木氏。組織を離れたぼくは語るに値するソロの自分をもっていないが、少なくとも70歳近くになっても頼れる自分をつくりたいという志は捨ててない。
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