ペン森通信
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戦艦武蔵の最期野生存者
ペン森に来る学生のうち12月4日夜9時からのNHKスペッシャル「戦艦武蔵の最期」を見た者がいたかどうか。いたとしてもごくすくないだろう。ぼくは最後まで目を凝らした。もしかして生存者の1人、社会部の先輩記者塚田義明が出るかも、という期待があったからである。武蔵は「宇宙戦艦ヤマト」で知られる戦艦大和ほど有名ではないが、吉村昭によってドキュメンタリー小説で造艦過程が描かれ名高い巨大戦艦となった。

同じ巨大戦艦には「宇宙戦艦ヤマト」で有名な戦艦大和がある。大和が1号艦、武蔵が2号艦である。どれほど巨大かと言うと、長さは東京駅がすっぽり入るくらい。高さは10階建てのビル並み。大砲にいたっては40キロ先の敵艦を攻撃できた。武蔵は米軍機の波状攻撃を受けてフィリピン沖で撃沈されたが、それが今年深海に沈んでいるのが発見された。遺体も共に沈んでいるのである。わずかな生存者の中に16歳の少年兵だった塚田もいた。

Nスペを見ながら大学生の時に読んだ『戦艦大和ノ最期』という吉田満の戦記ものを思い出した。武蔵も大和も旧日本海軍の大鑑巨砲主義を象徴する戦艦だった。吉田は日銀理事になるが、大和の乗組員として出港から米軍に撃沈されるまでを克明に描いている。大和は沖縄に上陸した米軍の本土上陸を阻止するために行きだけの燃料を積んで向かった。特攻である。武蔵の塚田は戦友の肉片が甲板上にこびりついていた、と証言していた。

大和の吉田もついさっきまで元気に動き回っていた兵隊の肉片がまわりに付着したさまを描いている。吉田の『戦艦大和ノ最期』はカタカナと漢字で表現されている。わずか3日間で書いたと言う。その臨場感には鬼気迫るものがある。ぼくは南九州にいたから米軍の本土上陸に備えて日本軍が小学校までを宿舎にしていたことを知っている。若い上官に年配の兵隊が教壇で殴られているのも目撃した。その衝撃はまだ記憶の底に潜んでいる。

おりしも2月8日の真珠湾攻撃の開戦日に首相の安倍はハワイを訪問して犠牲者に慰霊の黙祷をささげた。真珠湾攻撃がなければ広島・長崎への原爆投下もなかったのだ。広島のそのときの様子は平和公園のベンチで語り部から聞いたが、堀川恵子の『原爆慰霊塔』にも詳しく描いてある。この種の本を読むペン森生はすくなくなった。ただ最近、大和を建造した軍港・呉を舞台にしたアニメ『この世界の片隅に』を見たかと問われ困った。

戦艦武蔵の生き残り塚田は89歳になっていた。ぼくはが社会部にいたのは30代が中心だったので塚田は40代後半だったはずだ。誠実なきっちりとした壮年だった。たしかぼくが八王子支局に赴任したとき府中通信部にいたような気がする。かれが海軍の少年兵として戦艦武蔵に乗艦していたとだれからか聞いた。Nスペの最後にも登場して「戦争はするもんじゃない」と口調もしっかりとコメントしたが、風貌はかなり年老いていた。

トランプの当選に刺激を受けたのか世界は右傾化してざわついている。平和を求めてきた民主主義もあやしい風向きとなってきた。首相の安倍はトランプと波長が合うと喜ぶ向きもあるが、ばかばかしい。カジノ法案で公明党ではなく維新とタッグを組んだのは念願の憲法を変えるには維新のほうが都合がいいということだろう。










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