ペン森通信
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1970年前後の記者像
認知症のはしりか、錯覚か知らないが、電車内でうたたねをしていて目が覚めるとここがどこかわからなくなくなるときがある。ペン森の自分の机でも本を読んでいてパタリと落として目が覚める。家かと思い、次に朝飯前かもう朝飯はすんだか、昼にしてはずいぶん様子がちがうという考えがよぎる。ほんの1秒かそこらの意識の混乱である。すぐに正気に戻るが、なにかの悪い信号ではあるまいか、と気がかりである。

これは歳をとったせいとばかりとは言えない。読売記者となった11期生の某くんの作文かESを見ているとき、不覚にもぼくは居眠りをしてしまった。かれが書いた紙を落としてしまってハッと気づいた。ぼくが初老に差しかかった12年もまえの話だ。5期生の出版社に就職した女子は入社2年目くらいだったと記憶するが、インタビューの最中、相手の前で居眠りしたと言っていた。若くてもその種の失敗はあるようだ。

手なれた新聞記者は事件や事故で列車出張取材をする際、座席には座らない。寝すごしてしまわないようにデッキで立っている。いまは車があるからその中で仮眠すればいい。ぼくが記者になったころは、車の中で張り込むなんてことはできなかった。人家の軒下にたたずんでいたものだ。警察の手入れは明け方が多かったから軒下で寝ずの番だ。そのうち早起きした人家のシャッターが上がると、身の置き場に困り近所をうろうろした。

ぼくらの時代は経済の上昇気流に乗っていて未来は明るい希望に満ちていた。それでもまだ車社会ではなかった。車は社有車か借り上げのタクシーかハイヤーが主だった。マイカーをもっている者はごく少なかった。車は走る棺桶と言われたものだ。事故死も全国で1万5000人くらいだった。安全性や環境対応によって車が売れるようになるのは最近である。ぼくは50歳になってから免許を取得したが、それまで困ることはなかった。

いまでも地方紙や全国紙の地方支局には自転車で回る記者がいる。昼飯も自転車をこぎながらおむすびで済ますことが多い。コンビニのノリむすびはノリをはがすのが面倒だからあまり評判はよくない。昔はぼくも自転車だった。借り上げタクシーになったのは入社2年後くらいで、東京新聞の先輩記者としばしば遠出した。写真も類似していたから「東京と提携しているのか」と読者にきつく指摘されたことがあった。

ついでに言うと、筆記道具も変化した。現在は記者会見も記者はパソコンを前にしている。マス目の原稿用紙を使うのは企画ものの記事以外はなく、普通はわら半紙に3Bの濃い鉛筆を使った。電話で吹き込まれてくる原稿を遊軍記者がわら半紙にそのまま書いた。呼び出しは電報だった。電話も家庭にある固定電話を長時間確保して他社に使わせないようにした。記者同士の仲はよかった。本田靖春の『警察回り』にあるとおりだ。

奥が居眠りを頻繁にするようになったのはこの1,2年だ。前夜の睡眠薬がまだ残っているためなのか、疲れているのか、老年のためか知らない。でも通常、意識ははっきりしていて、ぼやけることはない。はっきりした頭で作文の添削をするからよろしく。
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