ペン森通信
定年なし女の子の介護つき
ペン森の若者に聞くと、自分がぼくみたいな老人になるなんて、考えられないし、考えたことすらないと力説する。ぼくだって大学生のころは年老いた自分なんて想像外だった。理屈ではすべての生命あるものは生まれたときから死に向かっているとわかってはいても、自分だけはあらゆる生き物から除外してしまう。そんな都合のいいことはないのだが、人間は自分に良いように解釈して、楽観視する癖があるようだ。

この間、長女夫婦が来たので古い写真を見てみた。赤ん坊のころのわが子が長女か二女か区別ができない。ペン森生たちもあっという間に様変わりして名前も出てこなくなるのだろう。かわいい子が老女になるのは嫌だな、と思うものの、彼女たちが40くらいのおばさんになる時分にはぼくはこの世から消滅している。それが定めである。幸か不幸かペン森には定年がないからぼくはまだ現役で働いている。介護つきも現役だ。

定年を迎えた男性のやるせなさは、古くは城山三郎が『毎日が日曜日』で書いた。最近では内舘牧子の『終わった人』が評判だ。残念ながらぼくも生理的にはもうとっくに終わった人だ。一般のサラリーマンは定年前、あれもしようこれもやってみようと楽しい計画に夢を託すらしいが、それは旅が最も楽しいのはプランを立てているときと言う話があるくらいだから、夢を楽しんだだけよしとしなければ。

定年のないぼくは生きているうちに、旅ができればそれで結構だ。ただ普通の旅ではない。これまで孫娘などと行った先へもう一度行ってみたい。だれかと秋田→弘前を日本海すれすれに走る五能線にもう一回乗りたい。合宿で利用した伊豆高原の貸し別荘はおととし15人で行ったが、また行って思う存分温泉につかりたい。ぼくは夏も冬もうちではシャワーを浴びているので、首までぬる湯の温泉につかりたいのである。

定年のないぼくですら激しく妄想するのだから、定年までコツコツと大過なくすごしてきた身にとっては、定年後の景色はバラ色に染まっているはずだ。それは内定した企業で働く自分が生き生きと別人のように晴れやかな生活を送っているのを想像するのと同じだろう。だが現実は思うようにはいかない。「思うようにいかない日はあした頑張ろう」と前回のNHK朝ドラでAKB48が主題歌を歌っていた。思うように行かないのが常だ。

過去にぼくが楽しんだ旅は大抵ペン森生といっしょでマイカーを運転していた。免許証も車も70歳になると同時に手放し、私立大学の講師も定年で自然に立ち消えた。ぼくにとっては70歳がひとつの節目だったような気がする。ところが精神は一向に衰えず一種発情状態が続いていたままだ。昨夜もかわいい子が改札まで送ってくれた。途中の歩道ですれ違う男たちが羨ましそうにつないだ手を目をしているのに気づいた。ふふ。

ペン森は21期生が内定して間もなく次の22期生の世代となる。ぼくはいま、リハビリに通っているものの、長年の怠惰と脳梗塞の後遺症のため帰宅時、介護人を必要とする身だ。ペン森は介護実習もできるようになった。きのうは最寄り駅から久しぶりに徒歩で帰った。公園の藪から地虫が無数に鳴いていた。ぼくは秋を経て冬を迎えたが、季節は秋だ。

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