ペン森通信
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かくも深い差別と偏見の意識
松本清張の『砂の器』は国のらい病(ハンセン病)の差別と偏見を鋭く問う小説だ。松本作品ほぼ専門に映画にしている野村芳太郎監督が映画にしていて、ぼくは女子大の授業をはじめペン森生にも見せた。音楽が非常な効果をあげていることでも有名な映画である。
らい病で差別されたために村を出た父子が放浪して歩いてくるシーンに突然切り替わると、もうそこで涙である。隔離される父親を追って線路を走る子どもの姿にまた涙だ。

 四季折々の風物を背景にしながら父子は放浪することで、1年をとおして撮影したことがわかる。「おれは映画を観ても絶対に泣かない」と豪語していた男がこの映画にはさすがに泣いたそうだ。21世紀がはじまる前、テレビ東京が20世紀の映画を取り上げてそんなことを特集していた。ハンセン病に面と向かった作品はほかにもあるかもしれないが、ぼくには『砂の器』の印象はあまりにも強烈だった。

 ハンセン病の隔離政策がとられたのは明治40年である。感染力はきわめて弱く、戦後間もなく特効薬も生まれ完全に治る病気とされている。にもかかわらず平成8年になって「らい予防法」が廃止され隔離政策はようやく終わる。じつに90年にわたる差別である。療養所の入所者たちが解放され市民生活が戻ったかと言うとそうではない。長い隔離政策のためにそれまでの誤解が解けず、本人のみならず家族も偏見と差別を受けつづけた。

 ペン森生はこれまで1期生から20期生まで何人も全国にある療養所を訪ね、入所者と親しく交流した。入所者たちは高齢化が進んでいる。孫のように可愛がられている20期生もいたのだ。作文のネタにするというより、一種義憤に駆られて訪問するうち親しくなったという事例が多い。若者がこういう理不尽な差別と偏見に怒りを覚えて行動するのは若者らしくてさわやかなことだ。

 越前敦賀城主、戦国武将の大谷吉継はハンセン病を患っていた。茶の湯でお茶を回し飲みするに際して、列席の他の武将が同じ湯のみに口をつけようとしないなかで、石田三成だけが口をつけたことで2人は強い友情で結ばれ、吉継は関ヶ原では石田側につく。吉継は顔を白い布で覆って隠していたが、やがて馬に乗るのも難しくなり、4人かつぎの輿に乗って紙の鎧かぶとを付けて指揮をとった。差別、偏見は連綿として続く。

 戦国時代以来の差別によって入所者たちの社会復帰はなかなかできない。25日最高裁はハンセン病患者の裁判が裁判所外の「特別法廷」で開かれていた問題で「偏見、差別を助長した。患者の人格、尊厳を傷つけたことを深く反省し、おわび申し上げる」と謝罪した。小泉政権が政府として謝罪してから15年。最高裁としてはあまりにも遅すぎた。「特別法廷」とは隔離施設などに設置された法廷である。もうそこから差別だ。

「私には差別も偏見もないと信じていたが、バレーをしているときうちのクラスが勝った。そのとき黒人の背の高い大柄なクラスメートが嬉しがって私に向かってきて抱きつこうとした。怖いと思った」というアメリカ高校の体験を記したペン森女子がいた。人間の偏見、差別には根深いものがある。難民問題やトランプ現象にも差別と偏見が横たわる。


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