ペン森通信
目に見えないものを見えるものに
ジャーナリストをめざす若いひとにぜひとも読んでもらいたい本がある。『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(文春文庫/半藤一利・保坂正康)だ。日本近現代史の碩学2人が語りつくすジャーナリズム昭和史と言うべき内容である。2013年の対談だから中身には最新の事象は入ってない。半藤のまえがきから引用する。「昭和元年から20年8月までの昭和史の20年間において、言論と出版の自由がいかにして強引に奪われてきたか」と。

 文庫本に世に問うことになって、半藤は書いている。「不戦の誓いのもとに形成された日本の民主主義とそれを支える憲法は、あっという間に空洞化され思考停止して同調し集団となった人びとは、異質を排除しして不寛容になる傾向をいっそう強めつつある。(略)私たちは歴史の教訓をどう読み取っているかを若い人たちに知らせ、自分の判断で物事を考える責任のあることを伝える、それが大事なときなんだ、と確信する」

 自分で考えろというやり方はぼくの作文指導といっしょだ。考えるというプロセスを経ないと深みや厚みのある文章表現はできない。いまはスマホで検索すれば、プロセスを経ないで答えが出せる。すぐ答えを求めたがる現代の若者は、ネット社会の申し子だからまどろっこしいことは好きではない。半藤も保坂も若いジャーナリストは勉強しないと嘆いている。5・15事件や2・26事件のことを知らない。常識的な歴史事実にもうとい。

知らないことを恥ずかしく思うどころか、日本史をやってないからと平気で言う。やってないから調べて勉強しようとは考えないらしい。インタビューの前に相手の著書を読むなりして、事前に下調べして臨むということもしない。若いジャーナリストは散々な言われようだが、この連中にジャーナリズムを委ねていると先行きが心配だと言いたいのだ。権力や大衆が一定の方向に向かう雪崩現象に歯止めをかけられるかという心配。

ぼくがぜひとも読んでもらいたいと希望するのは、まさにその心配があるからだ。この本の題名にあるとおり「メディアが戦争に導いた」という紛れもない過去があるからだ。「報道あるいはジャーナリズムにあおられて世論がつくられていった。日露戦争、第一次大戦、日中戦争、対米英戦争、全部そうだった。その教訓を歴史からから学んだ」(半藤)「現在のメディア状況の変化は速すぎて、考えることを放棄することにつながる」(保坂)

「考えることを放棄すると新しいファシズムにつながる。現代ではあっという間に実現するファッショ化」(保坂)ぼくが思う、考えると言うことは、現場へ行って自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じた事実を基本に思考しろと言うことだ。ただ机で自分の頭で堂々めぐりしても発想は停滞したまま進まない。テレビやスマホで動画に接してもそこには匂いがなく、生死にも無関係だからリアル感に乏しい。刺激的な思考は生まれない。

残念ながら、ペン森生はあまり現場へ行かない。自分で自分を刺激しない。「目に見えるものはすべて、目に見えないものに支えられている」と言う言葉がある。目に見えないものとは努力であり、歴史も含めた背後である。ジャーナリズムは目に見えないものを目に見えるものにする役割をもっている。



 
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