ペン森通信
駅前旅館があったころ
けさ自室で「女子12楽坊」のCDを探した。見つからない。この中国の女の子たちの胡弓を使った哀しいような切ないような、さわやかな音色が好きで、車を運転して東北や新潟へ遠出していたころ、運転しながらよく聴いていた。女の子のこの楽団は紅白に出たこともある。AKB48もそうだが個人名を知っているのは指原だけだ。AKBはグループでNHKの朝ドラの主題歌を唄っているので、朝からぼくは気持ちが晴れる。

CDは発見できなかったものの、『駅前旅館に泊まるローカル線の旅』(大穂耕一郎/筑摩書房)という懐かしいポケット版の本が目についた。懐かしい、というのは駅前旅館という名前の響きが物悲しく昭和を語っているからだ。駅前旅館と言えば井伏鱒二の小説を思い出すが、上野駅前の旅館の番頭が戦前から戦後にかけて旅館に集う客や従業員と仕事などの独白の思い出話である。すこぶるおもしろかった。駅前旅館はいまどこにある?

ローカル線のほうの作者は元学校の先生。撮り鉄だが、言わずと知れた旅好きである。学校の教師は夏休みなど長期の休暇がある。この休みを利用して旅をしようと言うのが教師の志望理由であった。もちろん面接ではほかの教育的なことを言ったと思うが、撮り鉄が高じて駅前旅館の虜になった。鉄道の写真を撮るひとはいまでも大勢いるが、はじめて一人で駅前旅館に泊まった1978年当時から撮り鉄はいたのだ。

60年代の前半の学生時代、ぼくは夏休みなど南九州から鈍行列車を乗り継いで上京したが、線路わきに撮り鉄の姿を見ることはなかった。そのころはまだ蒸気機関車が列車を引いていた。ぼくは鹿児島―東京間の駅の30か所くらいは途中下車しているが、駅前旅館に泊まりたいと思ったこともなく、またその金もないので、駅前の公園で蚊に刺されながら寝たものである。のんびりした時代で警官に誰何されることもなかった。

列車の荷棚は網棚で、そこに駅の洗面所で洗濯したランニングシャツをぶら下げ乾かしていた。切符売り場の窓口からせりだした板に寝たこともあった。駅員がはいって切符にパチンと刻みを入れる半円型のボックスにしゃがんで目をつぶっていたこともあった。戸塚警察署前庭のパトカーの中に寝て警官に叩きだされたのはもうちょっとしてからだ。若い時分は無鉄砲なものだ。いまはマスコミや世間がうるさいから昔みたいにはいかない。
 
 去年はまったく遠出をしなかった。旅友になってくれる仲間がいなくなったせいもあるが、脚が不自由なことがいちばん大きい。駅は階段だらけだから足の悪い老人は本当に困る。駅を出ても出歩けないから、駅前旅館に泊まってもいいが、いまどき駅前旅館は消えている。よくてビジネスホテルに化けている。ぼくはおととい神保町のビジネスホテルに宿泊したが、脚が悪いベッド派の身にとっては畳の旅館よりもうんと勝手がよい。

 卒業生から温泉に行きましょう、と言う声が上がっている。さきおととしは新潟・湯沢に行った。ぼくはぬる湯専門だから、大浴場には入らなかった。部屋の内湯に加水してすませた。いまはまた伊豆へ行きたくなっている。伊豆でも駅前旅館は見かけないなあ。宿泊先は貸し別荘だけど、だれか付き添ってくれないか。
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