ペン森通信
「永遠の処女」のどこがいいのだろう。
 スーパーの休憩スぺースでばあさん同士がとなり合って話していた。すぐ近くに座っているぼくの耳に2人の話し声が聞こえてくる。「あたし、髪切ったのよ、自分で」「あら器用だわね」「自分で鏡を見ながらだから、不揃いでしょ」「どれ、後ろを見せてごらん」「ちょっと、片っ方が長くて片っ方が短く見えるわね」「そうでしょ、寒いからこれぐらいにしておこうと右半分だけ切ったところで気づいて短くしたのよ」「ほんとに寒くなったわね」

 と次には寒い話題へと転じていった。ぼくもきのう散髪した。もともとぼくはスポーツ刈りの刈り上げの短髪だから、冬、散髪したあとはすこぶる後頭部が寒い。きのうもいつもの千円床屋である。1人しかいない散髪屋の兄ちゃんは行くたびにどんな髪型にしたいのかと聞く。かれこれ3年は通っているからそろそろ顔を覚えてくれてもいいと思うのだが、前回は「モヒカン刈りですか」とこの馴染みの常連客に聞いてきた。

 ぼくもじつを言うと、顔はなかなか覚えない。買い物の帰りにおばさんが親しげに話しかけてきた。かみさんにそのことを話したら、「眼鏡をかけていた?」と問いただすが、眼鏡をかけていたような気もするが、かけてなかったような気もする。いちばんの特徴さえはっきりしないのだから、ひとの人相を言うのも不得手である。自分のせいでぼくは人相描きというものをあまり信じない。人間の記憶なんてまったく曖昧なものなのだ。

 ぼくがこの人間は好きかどうかをはかる尺度にしているのは、顔の輪郭や造作がぼんやり曖昧であれば、好きだと言うことだ。嫌いな人間ははっきり頭に刻まれる。とくに女子の場合、それは顕著である。谷崎潤一郎の全編大阪弁の独白で貫く同性愛小説『卍』にほとんど全裸のモデルをヒロインが描く場面が出てくる。モデルと人相とは異なり、やがて同性愛の相手になる女性に似てしまう、というくだりがあった。ぼくとは真逆だ。

 もっともぼくは、絵は苦手だからだれに似せて描くといった器用なまねはできない。頭の中のイメージ映像としてぼんやりとしか思い出せない好きな女子は2人いるが、2人とも鮮明な写真があるのでそれを見れば気がすむ。いっそ動画だと忘れない。この間から「いい部屋ネット」のCMのまん中の女子が気に入っている。その子の顔、足の動き、スカートの広がりまでしっかり憶えている。平凡な日本風の女子であるから好ましい。

 永遠の処女といわれた原節子が今年鬼籍に入ったが、原節子はぼくの好みではない。ぼくが好もうと好むまいと知ったこっちゃあるまいが、洋風美女は往々にして情緒が不足している。日本男子はある種の動画でも情緒を大切にする。『東京物語』の原節子はミスキャストだというのがぼくの説。日本女性にしては大柄すぎる。八千草薫とか津島恵子とか、ほかにも女優はいただろうにと思う。原節子とは年代がずれているかもしれないが。

 今年もあとわずか。とうとう列車を楽しむ旅にも行かなかった。JR3割引きのジパングを活用しなかったのもはじめてである。当然だが、年末年始は旅もデートもない。ただテレビの前に寝転んで「いい部屋ネット」のCM女子を見て、ぼんやりと浮かぶ好きな女子は年末年始をどうしてるやらと妄想するだけである。


 

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