ペン森通信
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いまほどおもしろい時代はない
 きのう11月5日は喜寿77歳の誕生日だった。もちろん、人生はじめてである。芋焼酎を各種もらったので、飲み比べが楽しみだ。洋カン、かりんとう、芋けんぴと甘いものももらった。甘いものを焼酎の肴にして飲むのもオツなものである。ぼくの好みを知っているペン森生だからこそのプレゼントだ。ぼくはいわゆる乾きものはほとんどつまみにしない。果物と甘いものがいい。糖分の摂りすぎという指摘もあるが気にしない。

芋けんぴのおいしさにうなったのは、頭がよく可愛い大好きな女子の好物だったからだ。つられてぼくも好きになった。食べ物はふとしたきっかけで、それまで食わず嫌いだったのが食べてみたらおいしいという体験が何回もあった。たこぶつなんて、飲み屋で見かけても見向もしなかった。それがどうだ。いまでは家でもペン森でもせっせと食べるようになった。好きな食べものはうなぎとラーメンにつきるが、昔ほどこだわってない。

 主食もご飯からパン食に変わりつつある。この変化も年をとってからだ。その前は当然ご飯であった。パンなんかくそくらえ、と思っていた。ご飯は味噌汁に納豆があれば十分である。ぼくが田舎育ちで太平洋戦争末期をくぐってきたせいもあるだろう。農繁期には学校が休みになった。当時「お百姓さんありがとう」という歌もあって、ぼくら非農家は身を縮めるばかりだった。戦後まもなく日本はまだ農業人口の多い農業国だったのだ。

パンはアメリカの農業政策によって日本に広まった。余剰の麦を放出したといわれる。ぼくはいまでも牛乳が苦手だが、これは脱脂粉乳を飲まされたのが原因だ。バケツに入れた脱脂粉乳をひしゃくですくって、器に注いでくれたのを飲む。なんともまずい。これで牛乳嫌いになった高齢者も多いにちがいない。ぼくは芋焼酎派だが、その原料たるさつまいもはいまだに食えない。戦争末期から敗戦直後にかけてさつまいもが常食だったからだ。

都会では庭にかぼちゃを植えていたらしい。ぼくが育った田舎の家の畑は200坪あったが、トウモロコシ、サトウキビ、さつまいも、トマト、ナスなどを育て、ほとんど自給自足だった。コメだけは買っていたようだ。おやじは林業を営んでいたせいで薪はふんだんにあった。薪割りは日常生活に溶け込んでいた。ご飯炊きは小学生のぼくの仕事になっていた。もちろん薪でご飯を炊いたのである。長い中断があるがめし炊き歴は古いのだ。

もちろん、はじめちょろりょろ中ぱっぱ、赤ん坊泣いてもふた開けるな、の精神は守った。コメのとぎ方も知らない最近の女子に比べたら自活能力はかなりあるだろう。自活能力が身についた背景は、社会の不安定や不安不幸、非文明的未発達であった。いまでは「ひもじい」という言葉さえ死語になった。腹が減ってひもじさに耐えきれず。犬のくそまで手づかみで食べた浮浪児もいたのだ。現在は豊かさのなかの不幸不安不満である。

パートや派遣など非正規の労働者が全労働者の4割に達したという。ぼくが大学生になったころ大学進学率は10%足らずだったが、卒業後はみな正規社員として就職した。終身雇用は日本的経営と自慢していたのも、いまは昔だ。だが能動的前進的に生きようとすればいまほど変化にと富んだおもしろい時代はない。



 
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