ペン森通信
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まるで小説のような記者生活
アルピニストの野口健が週刊現代の「わが人生最高の10冊」の1位に植村直己の『青春を山にかけて』を挙げ、2位に『サハラに死す 上温湯隆の一生』を上げている。ぼくは植村も上温湯も付き合いがあった。上温湯の死に関していまでもぼくはじくじたる思いがする。上温湯と知り合ったのはぼくが33歳で東京――北海道・網走までのヒッチハイク大会に学生に化けて参加したときである。いまから43年も前のことだがよく憶えている。

当時上温湯は20歳くらいだった。北海道から帰ったあと、ぼくが働いていた新聞社を訪ねてきた。ぼくがヒッチハイク大会に出たのは同僚の鉄道記者・種村直樹が社会部遊軍席で「こんな案内が来ている。これはきみ向きの企画だな」と1枚の紙を渡してくれたのがきっかけだった。種村は国鉄全線2万キロ走破など熱狂的なフアン多い有名記者だったが国会担当に配置換えになったのを機に退社して独立し、レイルウエイ・ライターとなった。

種村は亡くなったが、彼がいなければぼくは上温湯と出会うこともなかった。ヒッチハイクは浦和から群馬を抜けて日本海回りで青森からトラックに便乗して津軽海峡をフエリーで渡り苫小牧に着き、網走までまた車に同乗させてもらってひた走るというコースだった。33歳学生のぼくは「学生さんはふけてるねえ」と運転手に言われた。上温湯はヒッチハイクで知り合った彼女を伴って訪ねてきた。サハラについてゆくと彼女は言った。

「かよわい女の身でサハラ横断7000キロをう行く体力気力はあるのかい」と彼女にきくと「このところマラソンをしてきたえています」と答えた。でも上温湯は単独でサハラにいどんで、22歳で死んだ。「ラクダが6頭必要なんですが、ぼくの持ち金では1頭しか買えません」。無謀にもその1頭でサハラ砂漠を横断することにする。出発していくらも行かないうちにラクダが倒れた。壊血病で死んだラクダから離れられず彼も一緒に絶えた。

彼がぼくを頼ってきたのは新聞社の後援が欲しかったのではと思う。それから数年たって、彼の彼女だった女子が訪ねてきた。スペインに住んでいて、結婚して子供2人を授かったという。見た目はすっかりおばさんになっていた。それからまた数年すぎて、彼女から「日本でこのひとに会って来てくださいと伝言をたのまれまして」という中年男性が訪れた。その男性と調布駅南口の路地を入った喫茶店に入ったことだけを記憶している。

上温湯の死亡が確認されたあと世田谷の彼の家に線香をあげにいった。母親が応対してくれた。大きな仏壇があり、一見して創価学会と思わせる家だった。上温湯は決して明るいタイプではなく、なにかに悩んでいた。ぼくはそれは青春の一形態だろうと軽く考えていたが、サハラ砂漠横断を考えるほどの懊悩だったのかもしれない。ラクダと命を共にした際、うすうす死を予感していただろうと思う。それは遭難死ではなく自死に近かった。

関西の学生数人もアフリカの砂漠地帯へ行くから支援してくれと言って、来たことがある。フィルムを十数本わたした、写真を掲載したら掲載料を払う、と約束した。写真は送られてきたように憶えている。社会部や週刊誌の記者をやっていると、小説のような体験をする。20期生に毎日のように内定が出てはじめた。きみたちの先行きは起伏に富むぞ。

 

 
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