ペン森通信
内定がほしければネタをさがせ
大学生の今年の企業採用試験は8月が主戦場になるが、マスコミ大手も8月に集中する。
ただ、日経はすでに何人か内定しており、仲間うちの経団連注文を無視している新聞社である。ペン森は3月に申し込みを締め切ったがその分、20期生は長期受講となった。本番前に息切れして、新ネタの仕入れができないひとも見受けられる。その意味では20期生はこれまでの期と比べ少し感度やセンスや発想力が鈍いのかもしれない。

 添削するほうも新鮮味がほしい。同じネタを何回も読んでいると、ついこちらもまたあれかと思って、真剣には読まない。ぼくはネタ仕入れのヒントになるようにとネタリストをつくって提供している。それを見て無言館慈恵院には何人か行ったようだが、自分でネタを探しだしてくるひとは少ない。探し出して活用した作文はよい評価をもらっている。あれだけ時間があったのにどこにもいかず、頭の中だけでこねまわしたネタの評価は悪い。

朝日と読売は論文、NHKは論述課題と称しているが、いわゆる学術論文を書くとまるで通用しない。ネタ勝負の作文でよい。作文とは具体的なエピソード(ネタ)を引き合いに出して考え方や意見を主観的に表現することだ。エピソードは自分の体験、すなわち一次的な情報で、報道されてみんなが知っている二次的な情報は使わないほうがよい。気のきいた受講生は体験を求めて四国八十八か所巡りをやったり山形で山伏修行をする。

ペン森生でないのが残念だが、ぼくがこれはすごいと感じたのは関ヶ原島津退(の)き口の行程1200キロをたどった豪の者がいたということだ。ご存じ関ヶ原の天下分け目の合戦が行われたのは1600年、東軍の徳川軍と西軍の秀吉亡きあとの三成豊臣軍とが戦って西軍小早川秀秋の寝返りで西軍が惨敗して徳川の時代となる。このときどちらに就くべきか大名たちは迷いに迷う。千数百人の島津藩は西軍に就くが押し黙って戦わない。

義弘率いる薩摩軍は戦場からの撤退をはじめ、敵軍の中を切り抜けて脱出し、多数の犠牲を払い少人数となった義弘主従はようやく郷里薩摩の土を踏む。この空前絶後の撤退行なぞってみた作家がいるが途中山ヒルやスズメバチの襲撃に遭い病院に運ばれるという始末であった。1600年当時に比べて道路は整備されてずいぶんと通りやすくなっているが、その分人間は弱々しくなっているので難行苦行の度合いは同じかもしれない。

島津の退き口を実行したのはたぶん、薩摩出身の学生だ。現在まで続いているかどうかは確認してないが鹿児島県寮の学生と高知県寮の学生とが酒の飲み比べをやっていた時代が最近まであった。薩摩と土佐の飲み比べである。1期生の鹿児島県寮に住む早稲田生が作文に書いていた。いま時はなにかとうるさいから、消滅しただろう。ぼくら世代からするとなんでもないことがすぐ禁止されたり、変更されたりするから息苦しい。

徒歩で日本縦断1500キロを実行したのはぼくの知り合いだった植村直己だ。同じコースを自転車で縦断したのは5期生の男子。しかし5期生はこれをついに作文にはできなかった。書くつもりではなかったせいかもしれないが、背景や歴史物語が背景にない分、ネタにはしぬくい。

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