ペン森通信
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現代に志士の若者はいないのか
先週末、友人が訪ねてきた。ぼくと同年齢なので向こうも老いている。ぼくと同じく転倒して、ゴキブリのように手足をばたばたしたことがあるそうだ。ぼくのように脳梗塞の後遺症で脚が悪いということもなさそうでいたって健康にみえた。だが、そのうち「ほれあれはだれだっけ?」と友人たちの名前をいちいち思い出さない様子である。認知症には
遠いが、物忘れは年齢相応のようだった。東大出といえども頭は平等に衰えるのだ。

 年齢相応といえば、ぼくはめっぽうな涙もろくなった。もともと、涙腺は緩いほうで小説を読んでも映画を観ても泣けそうなシーンで鼻水が出て、涙があふれ落ちる。これは老化の特徴的な現象らしいが、ぼくは昔から涙もろかった。人一倍感情量が多いみたいで、それが涙に液化して外へ出る。感情量が多いから、激しやすいところもある。安倍嫌いなのも感情の発露である。総選挙の対応をみていっそうこの人物は好きになれないと思った。
 
後藤健二ら日本人2人は安倍の中東訪問がなかったら殺されなかったのではと考える。積極的平和主義という矛盾をくっつけた造語を引っさげて、イスラム国対策費として2億ドルを拠出すると胸を張ったが、イスラム国側は敵対表明として受け止めただろう。いくら人道支援だと強調してももはや後の祭りだ。老年にいたって、ぼくは怒らないことをモットーにしていて実際、好々爺を装っているが内心反安倍で沸騰している。

 安倍は祖父の岸信介を尊敬している。岸の名前を耳にするたびによみがえってくるのは60年安保闘争である。ぼくは国会乱入こそしなかったが、デモにはほぼ毎日加わった。警官が学生を殴っているというラジオ関東の実況放送が耳に残っているから下宿でラジオを聴いていたこともあった。60年闘争よりも70年闘争のほうが激しかったが70年のときぼくはもう新聞記者をやっていた。取り締まりの総本山警察庁担当だったのだ。

 警察庁の警備局長に食ってかかったのもいまとなっては単なる思い出にすぎない。「こんなに厳しく学生を取り締まっては、学生はテロや暴力に走るようになりますよ」。実際、学生は暴力化した。警察は革マルや中核派を過激派という呼び方をしたが、いまやイスラム国こそ世界の凶悪派である。その凶悪派を刺激する国家に日本はなっていたのだ。戦前の日本に似てきたと危惧する近代史家がいるが、ぼくも不気味な国家になったと思う。

 日本は安倍政権によって急旋回で変質したが、おそらく世界も変わった。「殺し合わずともどうせ死ぬものを」という意味の川柳があったそうだが、人類の歴史は殺し合いであった。報復と復讐の歴史。イスラム国はネットに依存するがなぜ世界中から若者が集まったのだろうか。平和に倦んだ。血に飢えている。ひとを殺したかった。預言者ムハンマドの指示に従っているだけ。いろんな解釈があるだろうが、若者が凶悪殺し屋集団に入る現代。

 ぼくはまだイスラム国という名前を使っているが、ISという言い方がすこしずつふえてきた。ぼくもイスラム国は国家ではないし、過激な殺人集団だからISにしようかと思っている。日本も幕末にはテロが横行した。新撰組という殺人集団もいた。にしても薩摩や長州の田舎の青年がよくぞ革命的な世直しの原動力になったものだ。現代の若者も志士たれ。

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