ペン森通信
作文は人生観の反映である
作文は自分だけが知っていることをだれにでもわかるように書くのが鉄則である。だからほかのひとは知らない自分の体験を題材にせよ、としつこく言っている。ところがいまだに新聞社説みたいに大所高所から大仰に構えて、政治や国際問題を客観的に論じるひとがいる。本人はどや顔で気分よく書いたつもりだろうが、ちっとも読む気がしない。採点する記者もおまえにそんなことを説教される筋合いはないと思うにちがいない。

作文の字数は、以前は1000字だったが、いまは800字が主流。1000字時代は物語的な起承転結の展開が基本だった。800字を起承転結で器用に仕上げるひともいるが、そういうひとはめったにいない。たいてい起承転結の起承だけで終わってしまう。つまり過去の思い出だけを書いているわけだ。作文にふさわしい主観文ではあるが、自分の外へ出ないで自分の枠内だけで終始している分、普遍性や広がり、発展性に欠ける。

800字でぼくが推奨している文型は現在→過去→未来である。現在でいまの状態、考え、信念、方針、目標、心理、感情などを示して、つぎの過去でなぜ現在の状態にいたったかを証明する。それには具体的な体験エピソード(ネタ)が最もふさわしい。こういういきさつによっていまに繋がる、と因果関係を明確にする。最後の将来はそれまでを踏まえて近未来の予測や期待、願望で十分だろう。みな人生こうしたいと欲望があるものだ。

とはいっても作文はネタ勝負である。ごく一般的な常識範囲の題材は意外性もなく読むひとの胸に響かない。それは小説でも、映画でも。テレビドラマでも同じであるおもしろくないネタはどうひねってもおもしろくないし、だめネタを使うセンスは民主党が岡田克也を代表に選ぶ絶望上ぬりのセンスと変わらない。ネタは身近な素材がいちばんいい。となれば肉親ものである。でも父親や母親に対する恨みつらみはよくない。明るくないから。

長野県上田市郊外にある無言館はいまではよく知られた戦没画学生の絵が展示してある美術館だが、そこの絵を見てなにも感じない学生もいるし、涙を流す学生もいる。感じない学生はそれをネタにはできない。涙の学生は、なぜ突きあげる感情が湧いたかを詳しく表現するだけで感動させる。4期生か5期生を連れて車を連ねて無言館に合宿帰り寄ったことがある。あれほどしゃべっていたのに帰路はみな押し黙っていた。みな感じたのだ。

作文は人生観の表現である。どんなネタでもいかに自分の人生観と関連付けるかである。12期生に世田谷の吉田松陰がまつられている松陰神社をネタにしようとして行った者がいたが、かれは途中のバリアフリー商店街に興味をもって聞きまわり神社にはたどり着けなかった。いまは朝日の若手の嘱望される記者である。商店街にはなにもなかったと悪口を書いた者は内定ゼロ。その人間の人生観を裏付ける感性がものを言うのである。

どこそこに行くのだが「そこになにかネタはありませんか」と聞いてくる学生がいる。これまでずいぶんネタ場を教えたが、遠いネタより近くのネタだ。肉親ネタは最も身近だろう。遠くの場合、なぜそこに行ったのかを自分の人生観に引きつけて表現することである。ぼくは吉田松陰に関心がふたたび湧いてきたので、伊豆の下田を訪ねようと思う。


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