ペン森通信
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村上春樹に共感する
きのう3日、毎日新聞に村上春樹のインタビューが載っていた。村上作品はむかし、『風の歌を聴け』を読んで『ノルウエイの森』も読んだが、どちらも内容にはかすかな記憶しかない。エッセイは挿絵が愛くるしい安西水丸とコンビの『村上朝日堂』が好きだった。『はいほー』も愛読した。以前、週刊朝日で連載エッセイをもっていた。それを読むために週刊朝日はよく買った。小説をあまり手にしてないのはたぶん食わず嫌いなのだろう。

インタビューには共感するところが多かった。小説も読んでみようと思う。村上とぼくとはぼくのほうが10歳年上だが、太平洋戦争や福島第一原発事故に関してもだれも責任をとらない「自己責任の回避」が日本の共通の問題だと指摘している点におおいに同意する。「例えば、終戦後は結局、誰も悪くないということになってしまった。悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、ひどい目に遭ったと」

「(日本は)犠牲者に、被害者になってしまっています。それでは韓国・朝鮮の人も怒りますよね。日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思います」。そのとおりだと思う。おそらく広島・長崎へのアメリカによる原爆投下で瞬時に市民の日常が断ち切られ、子どもや女性を含む戦闘員以外に多数の犠牲者を出したことから加害者から被害者に転じた、とぼくは考える。

「原発の問題にしても、誰が加害者であるかということが、真剣には追求されていない。もちろん加害者と被害者が入り乱れているということはあるんだけど、このままでいけば『地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった』みたいなことで収まってしまいかねない。戦争の時と同じように。それが一番心配なことです」。これにも共感するね。
いまだに福島県から10万人以上が逃げている。それに対してだれも責任をとってない。

 村上春樹が早稲田大学に入学した68年から大学紛争が激化する。新宿の地下西口広場は学生グループが香港学生のように集合して議論をしていた。熱気にあふれていた。ぼくはすでに警察庁担当記者だった。70年には日本初のハイジャック事件が発生、若者が乗っとった日航機は福岡空港を飛び立つ。ぼくはそのとき、警察庁長官、後藤田正晴と長官室で話していた。電話をとった後藤田は半分飛び上がって「そんなはずは!」と叫んだ。

 警察官が空港作業員に化けて日航機の周りにいたのである。ぼくが最も憶えているのはコックピットの窓から顔を出している機長がとても浮かぬ表情だったことである。機長は家庭を捨てて、愛人と暮らしていた。浮気がばれると機長は思って困惑していたにちがいない。だが、日航は機長をいっとき家庭に戻し妻ともども平和な家庭を営んでいると思わせようとしたが、パパの不倫はやっぱり暴かれた。以後、機長は流浪の人生だったらしい。

 60年代70年代はじめは若者にとって激動の時期だった。「僕らが60年代に持っていた理想主義を、新しい形に変換して引き渡していくのも大事な作業です」。人は楽観的になろうとする姿勢を持たなくてはいけない、とも村上は強調する。現代の若者に楽観的な姿勢をもってもらうには、ぼくら60年代経験者は人生教訓と理想を引き渡さねばならない。


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