ペン森通信
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寝るか食うか、どっちかだよ。
 新築の隣家に若い家族が入居した。子どもは5歳と1歳の2人。この間の朝、5歳の男の子がぐずって泣き叫んでいた。若い夫婦は共働きだ。子どもを施設に預けて仕事に出向くらしい。それは、駐車スペースにしている車を見れば想像がつく。車は昼間、駐車スペースに置いてあるが、ぼくが帰宅する23時ごろになると、駐車スペースに停めてある。朝9時45分ごろに出るころはまだ駐車スペースだから、それから夫は出かけるのだろう。

いたって静かな家庭だが ぼくは子どもの泣き声を久しぶりに聞いた。とりわけ葬式の席で幼児の泣き声を耳にするとほっとするものだが、日常のなかの泣き声もおおげさに言えば、人生の輪廻を感じる。泣き声だけでなく、小学生や保育園児の声がちょっと離れた場所で耳にすれば、一つ一つの声が合体した音になるのを聞くのもぼくは懐かしい。小学時代、ぼくの家は小学校のすぐ近くにあったから懐かしい思いがするのかもしれない。

先日、小学校、幼稚園、保育園の子どもたちの声を騒がしい、と感じるひとが7割いるという報道があった。どんな大人だって幼児時代があったわけだが、そのことを忘れて子どもの声がうるさいというのはちょっとおかしい。電車やバスの隣の席で幼児がぎゃあぎゃあ泣きわめくのならともかく、小学生や幼稚園児は声を出して騒ぐのが仕事みたいなもんだから、そこは寛容に受け止めようよ、と強調したい。

この世の中はどこか不寛容になった気がする。窮屈にもなった。ぼくはそうでもないが生きづらいなあ、という話もよく聞く。夏の涼やかな風鈴の音にさえ、うるさいと文句がでるくらいだ。むかしながらの日本的な風趣も耳触りという世の中である。すっかりおおらかさみたいな雰囲気が消えた。おおらかさは自由に通じる大切な要素だとぼくは思うが、いつからこのような息苦しい社会になったのだろうか。

以前ならニュースにならなかった些細なことでもあげつらうひとがいる。マスコミも同調する。校庭で遊ぶ子どもの声を騒音と捉える。バスや電車のなかでなく赤ん坊に怒る。若いママさんの困惑に同情し席を代わったり、赤ん坊をあやしたりするひとが昔はいたものだが、これだけ人生経験ゆたかな老人が増えたのに、素知らぬ顔である。赤ん坊に怒鳴っても泣きやむどころか、いっそうヒステリックに泣きつのるだけだ。

もっともぼくは無愛想だから、赤ん坊の油に火を投げる結果になるので自重している。赤ん坊や子どもは嫌いでない。結婚したペン森生女子が赤ん坊を連れてやってくると、必ず赤ん坊を抱かせてもらう。泣きだす子が多いが、笑う子もいるのだ。赤ん坊は泣くのが仕事だから、泣く子は育つ。寝る子も育つし、食う子も育つ。子どもの泣く、寝る、食う状態をおおらかに見守る世の中でありたいものだ。

寝ることと食うことは、ペン森生も重要である。2014年の秋採用もほぼ終わって内定に至らず、落ち込んで寝られないという受講生もいるが、寝られなければ食えばいい。病みそうになったら、寝るか食うか、どっちかだよ。すると病まないですむ。大空のように大きく広く生きよ。
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