ペン森通信
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公開された昭和天皇実録をめぐって
 デング熱、錦織圭、朝日新聞で明け暮れた1週間が終わってまた新しい週になった。9日の火曜日は公開された昭和天皇の実録に新聞は大スペースを費やした。ぼくはこれを読むのを楽しみにしていた1人だが、朝日と毎日とをくらべると、圧倒的に毎日のほうが読みでがあった。毎日の1面は靖国神社不参拝に絞って記述している。88(昭和63)年の記述によると、靖国神社にA級戦犯が合祀されて以来、昭和天皇は参拝を止めた。

 このことは06年に日経がスクープした富田メモで明らかになった。富田メモは宮内庁長官を務めた富田朝彦が昭和天皇の発言を書きとめたメモ。靖国神社のA級戦犯合祀に昭和天皇が不快感を示し、参拝を取りやめたと受け取れる記述がある。富田が警察庁官房長をしていた当時、ぼくは警察庁担当記者だったから多少の面識はあったが、それはここではなんの関係もない。富田は鋭さが感じられずもっさりとした好人物ではあった。

 その富田メモと太平洋戦争開戦とポツダム宣言受諾、陸海軍と統帥権をもった昭和天皇との関係、戦争責任問題、占領軍との関係や憲法上の立ち位置、など知りたいことはいっぱいあるが、これは新聞の断片的な報道で全部を知るのは不可能である。もっとも、だれと会ったかについては詳述してあるが、その中身には素通りしているらしい。新聞の座談会の識者がそう言っているから、肉声的な生身の声はあまり集録されてないようだ。

 興味のあるペン森生は実録の写しの特別閲覧が11月まで皇居・東御苑できるので行って閲覧するといいだろう。ただし1回50分と短い。しかも月金はおこなわず、閲覧には整理券が必要。和とじで計61冊1万2000ページもあるので、50分で読みこなすのは速読でも無理。実録の体裁を観察して昭和をなでるのがせいぜいだろう。昭和天皇は戦前、主権者だった。国民が主権在民の民主主義になったのは平和憲法の施行からである。

 昭和天皇は人間宣言をしてから全国をめぐるが、ぼくが児童期をすごした宮崎の田舎も通った。列車だったか車だったかは記憶にないが、小学校は小高い丘の上にあった。ぼくが学校の階段に腰掛けていると、「そこは天皇さまの上にあたるぞ。下りろ」とものすごく叱られた。小学生にとって天皇は宣言をする前から人間だったのである。校庭の奥に御真影殿があって、それに礼拝してから教室にはいったが、意味はまったくわからなかった。

 人間である証拠に昭和天皇はがんに冒されて逝去した。ぼくがニューズウイーク日本版の仕事をしていたとき、英語版に「cancer」という表現があった。日本版に「天皇はがんだ」と訳していいものかどうか、と判断を仰がれた。がん告知は日本ではまだタブーの時代だった。ぼくは天皇も人間の一人として扱いたい、と答えた。天皇ががんに罹患していることをすでに察していたひとも多かったが、敢えて隠したままにしておくことにした。

 昭和天皇実録公表ですっかり昭和の自分を振り返ったが、未来に通じる要素がないから仕方あるまい。新聞、とくに朝日は懐かしき昭和回顧録ようで、それこそ昭和天皇が「最もつらい思い出」と悔んだ昭和と天皇と戦争について特別に触れてほしかった。委縮しているのかも。

 
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