ペン森通信
太き骨のそばに小さき頭の骨集まれり
 広島、長崎の原爆忌が近づいた。広島、長崎に赴任したことはないが旅ではともに訪れている。広島は14期女子に卒業証書を届けるため、孫娘との旅の途中に寄って1泊した。3日の日曜日NHKスペシャルは「原爆の絵」だった。「原爆の絵」のビデオコーナーは確か原爆資料館のなかにもあった。広島のひとがそのときの記憶を生々しく絵にしたその絵の作者などを訪ね歩く番組であった。2002年に放映された、その再放送である。

 NHK広島放送局は平和記念公園の近くにあって、付近では頭抜けて背が高い。それだけでNHKは金があるんだな思わせるビル。川向こうにある中国新聞の古さに比べたら月とスッポンだ。だが原爆報道の揺るぎない強さでは両メディアは抜きんでている。それは沖縄の沖縄タイムスと琉球新報が米軍基地問題で本土のメディアよりも質の濃く高い意識をもつのと同様である。現地と時間的にも地理的にも離れた地域との温度差は大きい。

 広島の原爆による死者に関して、ぼくは大学の授業などで14万人と言ってきた。これは訂正しなければなるまい。14万人は原爆が投下された1945年に亡くなったひとのことらしい。実際はその後も含めると死者は28万人にのぼるという。統計の魔術である。どこかで切れ目を設けねばならないだろうが、それによって事実が隠れることも生じる。交通事故死は事故に遭って24時間以内に死んだひとを示す。あとの死は数えない。

 1945年、詩人の正田篠枝は35歳で広島の爆心地から1・7キロ離れた自宅で被爆したが、生き伸びて原爆症による乳がんのため65年に54歳で死去する。しかしこの歌人は原爆死者14万人にはカウントされてない。正田篠枝は1947年に私家版歌集『さんげ』をだして一部で注目される。私家版というのは、占領軍情報局の厳しい監視と検閲の目を避けて広島刑務所内でひそかに印刷して発行されたからである。

 ぼくは女子大の授業で『さんげ』を教材に正田の短歌について話したことがある。
  炎なかくぐりぬけきて川に浮く死骸に乗っかり夜の明けを待つ
  ズロースもつけず黒焦の人は女(をみな)か乳房たらして泣きわめき行く
酒あふり酒あふりて死骸焼く男のまなこに涙光る
太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり

 皮膚の焼けただれた被爆者は水を求めて川に群がるがそこで息が絶える。死骸はもつれていかだのように川に浮かび、その上に乗って夜明けを待つひともいたのだ。上記2番目の「ズロースもつけず・・・」のズロースを全部の女子大生がわからなかった。「ズロースって名ですか」「木綿のパンツだよ」こんな質疑応答があった。死骸を焼きながら酒をあおり泣くおじさん。「太き骨・・・」は有名な短歌。可憐な小さきあたまの骨が痛々しい。

 あす6日が広島の原爆忌である。19期生に広島の中国新聞が第一志望という女子がいて見事内定した。原爆投下直後に撮影した写真は3枚しかない。そのうちの1枚は新聞記者が写したものだ。19期のその女子は発表よりも現場でニュースを拾うタイプだ。いい記者になるだろう。



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