ペン森通信
憲法9条を世界遺産に申請しよう
 朝日と毎日だけ購読している身としては、ちょっと一方的な論調に親しんでいるので集団的自衛権はちょっと書きにくい。この2紙と東京新聞を加えた3紙が憲法の解釈変更と閣議決定には絶対反対の社論である。あれほど全面展開して反対論を唱えていたのに、閣議決定後の4日には潮が引いたかのような紙面になった。これから法案審議がはじまる,が,これでは日本の変わり身の早さに敗戦直後の占領軍が驚いたのと同じ変わり身のようだ。

 世界中が第二次大戦後、70年近くになってなんとなく刺激の少ない平穏な平和状態に倦んだような気配がある。ついに日本までもが、とぼくは思う。アルジェリアで日本人人質が殺された事件の際、「日本人に対する考え方はイラクに自衛隊を派遣してから変化した」とコメントした商社マンがいたが、アフガンで井戸掘りボランティアをしている医師中村哲はいう。「憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、僕たち守ってくれている」

日本民族は変化を好まないと指摘される一方で、すぐ災難を忘れる災害民族とも言われる。たぶんこの二面性は日本民族だけではなく、日本人のみんながもっていると思う。第一、ぼくも変化を好まない保守的な面もあるし、すぐ忘れる健忘性的くせも併せもつ。おそらく中国や韓国のいう歴史問題に関して日本は加害者であったことを忘れているように見えるからこじれる。大陸の被害者は忘れようとしても頭に刻み込まれている。

安倍首相は戦争を知らない世代である。平和に倦んだ世代と言えよう。若者ほど強い刺激を求めない代わり、観念が信仰的に居座って他人の言うことを聞こうとしない。自衛隊が交戦して血を流しても、本人は弾の届きようもない安全地帯にいて、ああ自分のせいで犠牲者が出た、と集団的自衛権の行使容認の強行を反省することはないろう。前線で生命の危険にさらされるのは下級の隊員たちで、幹部は後ろにいて指示命令をだすだけだ。

政治家は兵隊がどれだけ死のうと、それは人的被害として抽象的にひとくくりにされるだけだ。戦争は多くの場合、脅威を除く平和のために行われる。ブッシュパパがアメリカ軍をイラクに侵攻させたのは、イラクが大量死をもたらす化学兵器を生産して秘匿していると勝手に考えたからだ。このとき、アメリカの平和のために先制攻撃も可能というブッシュドクトリンを編み出し、日本はいち早く賛成したが、大量化学兵器は一切なかった。

憲法9条もこれまでの拡大解釈だってずいぶんおかしかった。陸海空軍その他の戦力は保持しないと銘打ちながら、陸海空の自衛隊が存在する。戦争と武力の行使は永久に放棄する、と謳いながら安倍政権は、行使容認は憲法9条と矛盾しないという無茶な閣議決定をした。国語の答案だったら零点であるが、権力者の恣意は難なく通る。権力者は怖い。ぼくの友人の1人は社長に「お言葉ですがですが・・・」と反論して一生を棒に振った。

自衛隊には仮想敵がある。以前は旧ソ連(ロシア)だった。いまは北朝鮮と中国。だから敵の上陸地点になるかもしれない南西諸島を重要視している。でも、敵は離島攻撃をしてくるだろうか。ミサイルで原発が攻撃されればひとたまりもない。「戦争でえたものは憲法だけだ」と城山三郎は言った。正しい解釈の憲法9条を世界遺産登録に申請しようよ。



スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://penmori2007.blog108.fc2.com/tb.php/638-1aa69f73
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

瀬下先生

Author:瀬下先生
FC2ブログへようこそ!





最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する