ペン森通信
混浴温泉は混浴銭湯の名残か
大学時代は世田谷の経堂にある親戚の家に下宿していた。徒歩10分足らずのところに銭湯があって、風呂はそこを利用していた。真冬になると、洗った髪の毛が凍りついていることも多かった。料金はいくらだったか、まるで記憶にない。貧乏学生の身で週に4,5回は行ったからそんなに高くはなかっただろう。銭湯がごく普通にそこかしこにあった時代である。かぐや姫の『神田川』(1973年)より10年以も前の話である。

銭湯のことを思い出したのは毎日の昨日の朝刊に消費税増税がらみで銭湯の記事が載っていたからだ。ただでさえ銭湯は家庭風呂の普及によって減少しつづけているうえに、燃料の液化天然ガス、重油高騰の追い打ちをかけ、消費税増税でさらに打撃を受けることになる。全国の銭湯の半分が入浴量の値上げを考えているという。東京には昨年3月現在、銭湯の数は733、逆に1つしかないのは、山形、島根、佐賀。沖縄は2つだ。

ヒッピーがはやって若者が長髪になったころ、洗髪に大量の水を使うようになったことで入浴料が値上げされたことがあった。70年台である。そのことをぼくは記事にした。たしか取材した経営者は「番台に座っていると長髪がはいってくるたびに舌打ちしたくなる。長髪が蛇口からお湯をそれこそ湯水のようにじゃぶじゃぶ流して頭を洗っているとなおさら腹が立つ。値上げさせてもらわんと」と怒り狂っていたことを思い出す。

16期生だったか、作文の題材がすべて銭湯という受講生がいた。それはぼくが「お前は銭湯以外を書いてはいかん」と言ったのが大きいのだが、かれはほんとに銭湯が好きだった。若い後継者、名物女将さん、燃料調達、富士山の背景画を描く絵師、熱い朝風呂愛好会、銭湯のマナー、本日廃業する最後の湯、東京の銭湯の変遷と毎回銭湯ネタを拾ってきた。このおかげでぼくは富士山の背景画を描く絵師はもう2人しかいないことを知った。

かれはマスコミのどこにも内定しなかった。もし作文が評価されなかったとすれば、銭湯をめぐる人間模様を描く力が不足していたのだと思う。銭湯に関する知識を披露したり、事典的な説明記述が多かった。これはかれの特質みたいなものだから、大学院にでもすすめばよかった。事実、教授から調査能力を認められて大学院への進学を進められたと聞いた。かれは童貞だった。いかにも弱よわしい印象が草食化を倍加させていたのは残念。

ぼくは女子と温泉旅をすることがある。貸し切り風呂にはいることもあるし、混浴露天風呂を楽しむこともあった。江戸時代の銭湯が混浴だったことが知られているが、風紀上の問題で禁止される。それでも長年の風習はなかなか改まることはなく、庶民に嫌われものの老中、水野忠邦の天保の改革で浴槽の中央に仕切りが設けられ、男女別が実行された。だが、男女入り込み湯を止めない業者が営業停止処分になるのは明治にはいってからだ。

いまや、さすがに混浴銭湯は姿を消したが、温泉の混浴文化は東北を中心にかなり残っている。大雪で有名な青森の酸ヶ湯はとりわけ名高い。ぼくも数年前に利用したことがあるが、しなびたおっぱいを垂れ下げたばあさんたちの天国だった。酸が強く、皮膚の弱いぼくは1週間皮膚をやられてかゆくて悶々とした。




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