ペン森通信
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ペン森恒例の季節がまためぐってきた
 15,16,17日と2泊3日と予定していた19期生の合宿は15日の大雪のため、場所を変更して2か所で実施した。16日は東日本橋の中央区立産業会館、17日は早稲田大学戸山キャンパスに隣接する早稲田奉仕園。いずれも15日に探して予約した貸し会議室である。幹事団は18期生が務めたが、素早い対応だった。ぼくは1週間ずらして八王子セミナーハウスでやればいいと思っていたが、ES提出などで無理とのことだった。

 ペン森はこれから直前集中特訓、18期生卒業式とイベントがつづく。直前集中特訓は3月早々を考えている。作文を1日3本、制限時間内に書いてもらうという過酷なものだ。
例年、最初だけは人数が多いがだんだん少なくなる。明らかにこれをくぐったからこそ第一志望の大手マスコミに内定した受講生が毎年1,2人はいる。1日3本だから最初は使いまわしでしのげるが、3日目になるとネタ不足になってしまい、書けなくなる。

 それでもなんとか自分の内側を突き詰めていくと材料が見つかるものだ。人間はだれでも隠しているものがあって、建て前で作文を書くとそれが表に出てこない。やはり裏にあるものにそのひとの真実がこもって、説得力が増す。美しく自分を飾ろうなんて思ってはいけない。集中特訓の4日目5日目は本当の自分探しをやってもらうことになる。ネタという素材もしくは材料は一次情報が鉄則だ。それは自分の体験以外にないのである。

 直前特訓が終わると次は18期生の卒業式。以前、ぼくがまだすこぶる元気だったころは1人1人の卒業証書に文を書いたが、16期生からは記念の本をあげることにした。去年は『調べる技術・書く技術』(野村進/講談社現代新書)だった。卒業式は大学のそれと重なる場合が多いので、日にちの設定がむずかしい。みんなペン森よりも思い出の詰まった大学の卒業式に出たいだろうから重ならないようにしなければならない。

 残念ながらぼくは大学の卒業式には出ていない。掲示板に貼られた卒業者名簿を見たら、ぼくの名前は黒く塗りつぶしてあった。出席不可。別に気落ちもしなかったが、いまになって考えると残念である。なぜ出席できなかったのか。1年生でとった授業を4年間出る機会があったのにさぼったからだ。1年生の最初の授業の際、教壇の先生がぼくの名前を「○子」と女性名で読んだからだ。それに腹が立った。当時は血気盛ん短気だった。

 最初の英語の授業でメランコリー(MELANCHOLY)をメランチョロリーと読んだ学生がいて,おれはなんという程度の低い大学にはいったのかと嘆いたことも、授業をよくさぼった理由だった。メランチョロリーくんは大学を卒業してすぐ、公認会計士になったそうだから数学はできたのだろう。60年安保闘争のとき大学3年生で、よく「岸を倒せ!」のデモに行った。合宿で岸信介を尊敬すると言った受講生がいたので思い出した。

 ペン森の卒業式が終わると、19期生の採用試験の結果や途中経過が次々にもたらされる。そしてぼくは時間ができ、旅に出る。まず孫娘と九州へ。今回はどちらもペン森卒業生が複数赴任している福岡と鹿児島に寄る。4月か5月は14期女子と旅をする約束。年年歳歳、また同じ季節に同じイベント。あと何年かなと思う歳になった。

 
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