ペン森通信
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パンツの歴史、立ち小便の沽券
  昨年5月に惜しくも亡くなった米原万里さんはロシア語の名通訳者であると同時に名エッセイストであった。名エッセイのひとつに『パンツの面目 ふんどしの沽券』がある。沽券(こけん)の意味は知ってるよね。面目とおなじようなニュアンスがあって、年配者はいまでも「それはおれの沽券にかかわる」なんて怒る。体面というか、プライドのことだね。

 ところでぼくのパンツの歴史は白さるまた→白ブリーフ→桃ふんどし→柄トランクス→紺ブリーフ→白ブリーフ→黒ボクサーブリーフときて、最近はもっぱら黒系前ボタンボクサーブリーフを愛用している。桃ふんどしというのはピンクの越中ふんどし。これは30代に着用していた。ピンクという色がどうもぼくという人間を反映してあやしげだね。デパートに売っていた。締まりに欠けたが風通しよく気持ちよかった。かみさんは干すのをしぶっていたが、これから復活も考慮中。

 ぼくが小さいころはふんどしが大人の日本男児の下履きだった。子どもはさるまた一辺倒。さるまたはトランクスのことだといってよかろう。日本女性のパンツはミニスカートの流行とともに布の断片みたいに短くちいさくなったらしいが、戦後しばらくはまだ長いズロースだった。日本の女性が下履きを履くようになったきっかけは、よく知られているが、昭和8年日本橋白木屋デパートの火災。これは日本初の高層ビル火災だった。上層階から綱を伝って脱出していた女店員たちが着物のすそがめくれて綱から片手をはなして前を押さえようとして墜落死した。野次馬が下から見上げていたからね。当時、まだ着物の下は腰巻きだけですっぽんぽんだったのだよ。

 それで思い出したが、戦後まもないころ田舎では着物を着たばあさんが立ち小便をしている光景が珍しくもなかった。着物のすその後ろをからげはしょって、脚を開いて上半身前傾姿勢で馬並みに地面に放出していたもんだ。その間きょろきょろと見回しているふうだったが、これは
警戒心や羞恥心というのではなく、むしろ快感忘我の境といった表情だったのである。女性用立ち小便用の便器を開発製造したという話を聞いたこともある。実現したらさぞ壮観だったろうに。

 ぼくは立ち小便には沽券にかかわる思い出がある。警察担当の新人当時、畑のわきで放出していると、下校途中の女子高生の一群が向こうか
らきた。大あわてでジッパーを引き上げたら、逸物の柔らかい裏皮に食い込んでしまった。押せども引けどもただ痛いだけ。コートで前を隠し自宅アパートにもどった。ズボンのジッパー部分をはさみで切り取り、食い込ませたままぶら下げて、泌尿器科にかけこんだ。医者は奥さんを呼んで「珍しいからお前も見ろよ」と笑った。

 医者はペンチ様の器具を使って、ジッパーの金属の噛み合わせをひとつひとつ解除してくれて、ほっとした。残念なことにそのあとは、盛り上がりもせず、ギザギザの変形もなく、変哲のないつるつるすべすべ。すこしは痕跡を残してくれたらよかったのに、とちぢみゆくわが愛息をいとおしむ加齢頻尿の秋の夜。
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この記事に対するコメント

先生の真骨頂ですね。
【2007/10/22 22:51】 URL | #- [ 編集]


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