ペン森通信
ネタは目に見えるものの陰にある
 ペン森は18期生の姿が消え、19期生が作文を書いている。11月中には14人になる見込みだが、まだのんびりしたもので熱気といったものは皆無の状態だ。おかげで指導する立場のこっちも緊迫感に乏しく、毎晩楽しく飲んでいる。12月にはいったら、就活解禁となるので大学3年生の雰囲気も変わってきて、それにつれペン森にも切迫感が忍び寄ってくるだろうし、悠々と構えているこっちも気を引き締めねばなるまい。

 作文はネタだ、とぼくが強調するもんだから19期生もネタ探しに懸命である。ネタとは寿司のタネからきたマスコミ用語であまり上品な言葉とは言えない。品よく表現すれば素材、あるいは題材ということになる。ネタ探しのためにかけずり回っている者もいるが、かけずり回って掴めるセンスがあるなら、かけずり回る必要はない。それはセンスと大いに関係がある。センスというアンテナを持つ者に引っかかるのがいいネタだからだ。

 ところが、大学生の多くはそのセンスに乏しい。テレビや新聞や週刊誌のニュースや企画価値はまさにセンスの産物である。とくにテレビと週刊誌はおもしろくなければ視聴率は低迷するし、売れ行きも芳しくない。おもしろいかおもしろくないか、という表現も一般の用語とは異なるマスコミ用語で、不謹慎なケースでもそれは使われる。単純に事件事故の犠牲者の数を例にとると、1人よりも3人のほうがニュースになるからおもしろい。

 犬が人に噛みつけばニュースにならないが、人が犬に噛みつけばニュースになるといわれたものだが、要は意外性があるかどうかがおもしろさを左右する要素なのである。作文を診断する側は無意識のうちにもこのネタはニュースになるか、企画になるか、と判断している。だから、すでに報道された二次的なネタはおもしろくない。この執筆者はセンスがないとみなされる。作文は診断する側にとってはじめて知る一次的な情報がいいのだ。

 一次的な情報とは自分の体験にほかならない。19期生に対してぼくは、自分の過去を掘り起こせ、と注文をつけている。喜怒哀楽をそれぞれ、喜なら喜、怒なら怒、哀なら哀、楽なら楽とノートの各ページに1分類ずつまず記入しなさい、と。つぎに喜なら喜のページに体験事例を振り返って見出しをつけ、それはいつ、どこで、(だれと)、どのような状況で体験したかを詳述し、そのときの感情と現在の感情の差があれば、それも書き添える。

 受験や就活はみんなが体験するありきたりの事例だから除外する。各人、親がいて、学校に通い、友だちがいて、ひとに出会ったはずだから、なにか心に残り、気持ちの底にたまっている出来事の追憶があるはずである。それを喜怒哀楽の4つに分けて記入することによって、身近な一次情報のネタを仕入れ、同時にセンスもいくらか身についてくるだろう。平凡平穏な21歳までであったとしても、平凡平穏と気づくだけでも効果ありだ。

 すべての目に見えるものは目に見えないものに支えられている、という箴言がある。目に見える21歳の実在人物は、21年間のあいだ、目に見えないものに支えられてきたのである。対象が人物であれ、現象であれ、表面では目に見ないその奥や背景や成り立ちに目を向けるのがネタ探しの要諦である。

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