ペン森通信
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富と繁栄の東京集中
前の東京五輪でやむなく妻の家は立ち退きをしたというが、前の五輪で立ち退きをさせられさらにまた半世紀以上たって2020年の東京五輪でも立ち退きを迫られる住民がいるのをご存じか。五輪によって二度目の立ち退きを迫られているのは都営霞ヶ丘アパートの住人たち。競技場周辺の整備のためアパートの取り壊しが決まっているのだ。住人は引っ越さねばならない。という内容が『週刊現代』の新国立競技場批判記事の中にでてくる。

 新国立競技場奇抜なデザインはもうおなじみだが、宇宙船を思わせる流線型。ところがこのデザインでは建てれないのでは、計画を見直す必要がある、との見解を世界的な建築家、槇文彦が示した。日本建築家協会の機関誌にそのような趣旨の論文を発表したというが、ぼくは槇が同じ見解を寄せた朝日新聞の一文で知った。他の専門家のあいだでも批判があるらしく、これはかなりもめそうな成り行きとなっている。

 新競技場をめぐるすったもんだはあっても締め切りがあるから、決着はする。ぼくが気になっているのは、東京五輪のために作業員や機器が東京に集中して、被災地の復興がますます遅れるのではないかということだ。労賃も上がることだろう。その意味では下層がうるおい、慶賀の至りという面もあるだろう。東海道新幹線や首都高を間に合わせた1964年の東京五輪でもそうだったが、作業現場の偏在は2020年五輪でも必ず起こる。

 復興よりも五輪優先の雰囲気がすでに醸成されつつある。被災地を聖火が走る計画だが、その程度でお茶をにごしてはならぬ。テレビは被災地の沿道で手を振る光景をさも美談風に報じるのだろうが、もちろん本質は被災地の復興作業を五輪のために停滞させないことだ。メディアは3・11大津波被害者と原発避難民のことをわきに置いて、五輪に浮かれてはなるまい。どうもメディアの五輪浮かれや讃歌に肌寒い感じがつきまとう。

 前の東京五輪の労働現場は奥田英朗のサスペンスの傑作『オリンピックの身代金』に詳しい描写がある。これは本の題名で検索するとテレビ朝日の開局55周年記念のスペシャルドラマとしてこの秋、2夜連続で放映されるらしいが、テレビ朝日で検索してもそれらしい予告はない。マルクス経済学を学ぶ東大大学院生が警察権力へ爆発物を仕掛けて挑発する。「東京だけが富と繁栄を享受することは許されない」と自ら工事現場で働く院生。

 ぼくが新人のさつまわりのころ、秋田県の出稼ぎ労働者が数人、河川の作業現場で生き埋めになった。この小説を読んでぼくは、まず一番にそのことを思い出した。小説のテーマのひとつが貧困問題だからである。それはいくらか改善されているものの、富と繁栄が東京に集中している実体は変わらない。失職予備軍の非正規労働者37・8%、生活保護158万世帯、離婚などで母子家庭・父子家庭も増えて貧富の差は大きくなる一方だ。

 東京五輪の経済効果は? とか、なんでも経済に結びつける風潮はどういう社会の投影なのだろう。ぼくもおカネはほしい。一番欲しいのは趣味の旅費用、つぎは自分の葬儀費用だから笑える。樹木葬を希望しているが、さて場所と費用は? だが漠然として厳しく考えたことがないのはまだ切迫してないから。

 

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