ペン森通信
小学時代にはじまった余生
病気で就活ができなかった女子がいて、きのう彼女に何回目かの本を送ろうとしたが、封入してから著者の吉村昭と藤沢周平の名前を思い出せなかった。のど元までは名前が出ているのだが気管にひっかかって出てこない。10分くらいたってふいに名前がうかんできたものの、これは認知症のはじまりかな、と考えた。最近とみに人名の度忘れがひどくなった。酔って忘れることは以前からあったが、しらふでも忘れてしまう。

 くだんの女子に最初はジェフリー・アーチャ―の『ケインとアベル』を送るつもりだったが、書店で文庫の書架をみているうち吉村昭と藤沢周平に心変わりがした。この2人の作品を近所の書店とBOOK OFFで買ったので送るむねメールしようとしたら、2人の作家の名前がでてこなかったのだ。これはどういうことだろうか、いよいよボケがきたかといぶかしんだ。涙もろくにもなったし、だれにでもある単なる老化現象ならいいが。

 ペン森生の名前と顔は一致して記憶している。6月29日の後期高齢の宴には104人が参加してくれたが、ほぼ間違いなく全員の就職先と名前と顔は憶えていた。でも期別となるととたんに怪しくなる。大学のゼミ教授が君たちの名前と顔は忘れることはないが卒業年次はまったくわからない、といっていたがまったくそれと同じ。その教授も数年前から車いすの身で、もはや認知症も本格的だ。教え子の顔をみても判別できないだろう。

 くだんの病気療養中の女子は親に付き添ってもらい車いすで後期の授業に臨むらしい。やむをえずとはいえ青年期の車いす生活体験はその後の人生に、他者への思いやりとか表現意欲とか、よい効果をもたらすにちがいない。若い時期は細胞の動きも活発なところがぼくたち老人とは雲泥の差だ。老齢者の先行きはたかが知れているが、若者の未来は無限大といってよい。その可能性があることにもっと興奮発奮してよいだろう。

 ぼくは小学1年時、臨終に陥って蘇生した。移り気な性格はせっかく生き返ったのだから、好きなこと精一杯やっておこうという打算が働いているからかもしれない。あるいは居直った人生をすごしているのかもしれない。度忘れや移り気は細胞の摩耗による自然現象だと楽観的に受け止めている。ほとんどすべてのひとは老齢期に余生に入っているが、ぼくは小学生時代から余生だったわけだ。以来、好き勝手やってきた。

 幼い日の臨終体験はいまでもよく憶えている。高熱を出しているぼくを父親がおぶって自転車をこぎ、数キロ離れた街の医院に行く途中、ぼくは話そうとするが声が出ない。そのうち気を失ったらしく、目を覚ましたら布団の周りに親戚の大人たちが並んでいた。自宅だった。臨終を迎えたぼくの死を遠方から駆けつけた親戚がみ見守っていたのである。花園があって透明な心地よさを感じた世界を見て持ち直し、ぼくの余生ははじまった

 移り気を反復しながらのぼくの余生は他人より長いが、おそらくストック切れは間もない感じもある。このところ無意識のうちに、あと何年かと思いにふけってハッとすることがある。幼少時にいちど盛り返した命も勢いがなくなったが、移り気という浮気心は老いてなお日増しに活動的になる。

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