ペン森通信
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日本もぼくも女子化がひどい
つくづく軟弱になったもんだと思う。宮崎県の人口2万くらいの農村で子ども時代をすごしたぼくは、敗戦直後の困難期を体験している。おやじは林業を営んでいたので、農村ではちょっと肩身の狭い非農家だった。食料に窮することはあまりなく、スズメやイナゴや川魚を自分でとって焼いて食べていた。川魚はハヤやナマズなどだが、釣りには自宅の流しの外の湿地にうようよいるミミズを使っていた。そのミミズがいまや気持ち悪い。

もちろん、ミミズは手先でちぎって針につけていた。その当時はくにょくにょした軟体動物が気持ち悪いなんて感覚はまったくなかった。ヘビだって案外、平気に手づかみしていた。ヘビをいつもポケットにいれている友人もいたし、ヘビはどこにもいた。日本はまだ自然がいきいきしていたのである。ドジョウはたんぼの水路でドジョウすくいの要領で片足を手前に少しずつ寄せて、かごに追い込んですくいあげればおもしろいように獲れた。

すべて遊びを兼ねた食料調達だった。農村だから山林、田んぼ、畑が周囲に満ちて、小川の清流も泳いだり、魚をとったり、都会では考えられない環境だった。スズメは地面に置いたコメ粒の上にひもをつけたかごを伏せ、コメ粒をついばんでいるとひもを引っ張る。閉じ込められたスズメはバタバタと騒いだが、手をつっこんで捕まえた。頼りない骨組のスズメの首をひねって殺し、熱湯をかけて毛をむしり、内臓をだして焼いて食べた。

ぼくは鶏のさばきもできるようになったが、いまは断末魔の声を聞くのに耐えられるだろうか。農村から鹿児島市という中都市をへて東京という巨大都市に移りきて、つまりは戦後日本の推移に波乗りしてここまでやってきた。この間、嫁をもらい、女の子2子をなし、女子の孫をえた。そうして、肉食系に近かった少年は便利な文明の進化とも相まって、自然性を徐々に失い、同時に草食系の傾向を強めて気弱な老人になった。

たぶん、ぼくら70、80台の世代は同じような体験をして現在に至る。18期生のだれかが、祖父は戦災孤児だったと言っていて、それを作文に書くように勧めたいと思っているうちに、3・11の震災孤児に話が流れるうち失念してしまった。震災孤児は200人強だと記憶しているが、戦災孤児は13万人だったか、どうもあやふや。戦災孤児たちは上り坂の戦後高度成長の波にのって、社会に吸収されて溶け込んでいったのだろう。

ぼくはその戦災孤児のゆくえと高度成長と家族のあり方をからめたルポを書きたいと一時考えたが、戦災孤児のゆくえを探すのに困り果てて、ついにあきらめた。たしか戦災孤児の一例がだれかのミステリーになっていたが、神奈川県の久里浜から千葉県の金谷までフェリ―で渡る場面しか思い出せない。参院選中だが、国政選挙のたびに日本のこれまでとこれからを強く意識する。「日本を取り戻す」というキャッチコピーがピンとこない。

司馬遼太郎だったと考えるが十数年前、日本はいかに上手に坂を下るかの時期にきているといった。それは司馬が国会に進出するかどうか憂国の思いにあったころではなかったか。憂国の三島由紀夫も信奉者は多かったが、偏りがあった。ぼくのような田舎育ちの偏りのない思想家や哲学者がこれからの日本には必要だ。ぼくは偏っているけどね。日本も女子化したなあ。
 
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