ペン森通信
現代に潜む武家社会の窮屈
 2011年3月11日金曜日のくだりにこう書いてある。「その時、わいは家で映画を見ていた。『切腹』という映画。 貧しい主人公の娘婿は、妻の病を治す薬のために武士の魂である刀まで売っていた。そこまでして手に入れた薬も底をつく。ある日大名の屋敷にて『切腹をしたいので庭を貸してほしい』という武士が現れ、それを嫌がった大名が金を渡して帰したという噂を聞き、薬を手に入れる手段を失った娘婿は大名の屋敷を訪ねる」

娘婿は「切腹をしたいので庭を貸していただきたい」と申し出るが、どうせ金をせびりにきたのだろうと家老は聞き入れず、庭は貸すから腹を切れ、と迫る。娘婿は一度家に帰ってまたここに必ず戻ってくると懇願するが許されず、ついに身につけていた竹光で腹を突くが、横に裂くこともかなわず、介錯も聞き入れてもらえず、舌を噛み切って自らの命を絶つ。昭和37年度、ぼくの新聞記者初年兵当時の芸術祭参加作品である。

以上、引用は松山ケンイ著の『敗者』の冒頭部分。『切腹』はカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞した名画だが、ぼくは不覚にも観ていなかった。松山ケンイチに教えてもらって存在を認識したようなものだ。監督は小林正樹。主人公に扮した仲代達矢はまだ存命だが、大半の出演者はすでに没している。これは強烈な武家社会批判映画で、サムライ精神の虚飾やうわべの格式に刃を突き付け、同時にわが社第一の集団主義も痛烈に皮肉る。

松山の『敗者』(新潮社)は意外におもしろい。この本を編集した9期女子が持ってきてくれた。「敗者」とは大河ドラマ平清盛の視聴率が低かったことを自嘲するのではなく、清盛の人生をなぞっている。随所に知恵のあるセンテンスが散らばっていて、それがつくりものでなく、文脈の中にごく自然に出てくる。松山は大河の主役を張るほどの俳優だが、根は純粋な本音の若者なのだろう。その本音が小気味よく展開し読後感はさわやかだ。

「車から見える福島の景色に言葉が出なかった。海沿いの建物はほとんど崩れていて、がれきが山のように積まれている。震災から2カ月たった今も傷痕は生々しかった。この光景はメディアを通して見る事は出来るが、ここに流れている空気を吸う事は出来ない」。松山がボランティアに行くときの記述。そして自問する。「被災地へ行ったのは全て自分のためだったのではないか。自分はやったという結果が欲しかっただけではないか」と。

 松山ケンイチはなんとナイーブな青年なのだろうか。ぼくは大河ドラマがはじまっても松山ケンイチという役者の顔も知らなかった。いまでも、お笑い芸人と並べて、どれが松山かと聞かれても当人をさすことができるかどうか。小雪と結婚したあの男といわれても小雪自体も判別できない。年を重ねると今の若いタレントや俳優、スポーツ選手はほとんど名前と顔が一致しない。AKB48なんて大島優子以外だれもわからず見当もつかない。

 AKB48は知ってようが知ってまいが、日常生活には一切困らないが、坊主頭にはちょっと虚を突かれた。ドイツ占領下のパリでドイツ兵と親しくしていた女性を丸坊主にして市民が引きまわすロバート・キャパの写真を思い浮かべた。聞けばAKB48は恋愛禁止だと。これって人権侵害じゃないの。武家社会の不自由と窮屈な建て前は連綿と現代に潜んでいるようだ。

 




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