ペン森通信
貧困だけをテーマにする記者出でよ
 NHKスペシャルを結構楽しみにしている。2月17日は「アルジェリア」だった。新映像入手をうたっていた。とても民放はかなわない、と思わせ感心した。だが「事件の真相」というわりには、ありきたり建て前コメントをならべて、全体のインパクトを弱めた。テロの原因は「失業と貧困」なんて、だれでも言える。アルジェリアもそうだが、アフリカは資源に恵まれているのになぜ失業が多く、国民は貧困にあえいでいるのだろうか。

 そこに刃を突き付ける鋭さがなければもどかしい。本来、メディアとはそのような貧困に目を向けて社会構造を変革させる役割を担っているとぼくは考える。体制変革を求めるような大それた問題だが、事件の原因は失業と貧困なんて、突き放したものの言い方をして立ち入らないのは単なる傍観者の姿勢で救いがない。NHKはジャーナリズムとして、資源が豊かにあるわりに国民は貧困という矛盾を追求するのに遠慮があるのだろうか。

 もっとも他のメディアがそこまでやるかというとまずやらない。そんなに大きなことはメディアが扱えるような問題ではない、と思っているのかもしれない。富者と貧者が世の中に存在するのは当然であって、ましてや競争原理の自由主義社会にはそれはつきものなのだ、と諦観しているかもしれない。それでもどうして金持ちと貧乏人が生まれ、その間の差が拡大していくのかに疑問を呈すべきだ。それがメディアの拠って立つ責任であろう。

 メディアはいうまでもなく、受け手の知る権利を読者や視聴者から負託されている。昔、新聞には大(おお)新聞と小(こ)新聞とがあり、大新聞の流れをくむのが朝日、毎日で小新聞の流れをくむのが読売だ。大新聞は言論を主とし、小新聞は庶民の話題を中心にしていた。読売は江戸時代の新聞、かわら版を売り子が記事を読んで売ったことから読売という名がついた。社会面が強くなんとなく庶民派の印象があるのは由来のせいでもある。

 もちろん、現在の新聞には大も小もない。論調も多少は違う傾向がみられるものの、似たり寄ったり、だ。だがアフリカの貧困に対して、資源の乏しい日本などがもてる資金と技術を活用して搾取しているとは、いわない。日本は圧倒的な富める国でこの富は、世界の絶対的な貧困の上に成り立っている、ともいわない。9・11の同時多発テロにつづくアフガニスタン紛争で盛んに指摘された遠因は富める国と貧困のアンバランスであった。

 以前、ペン森にはブラジルやフィリピンの貧民と暮らして活動をしている若者がいた。かれらは日本のマスコミに入って、困窮の生まれる構造を変えねば世界に平和は来ない、と熱い思いをもっていた。だが、無念にもこの熱い訴えはメディアに届かず、内定にはいたらなかった。日本のメディアは世界の貧困問題は自分たちとは関係ないと思っているのである。異端の採用をしないのは、内部に旧弊な徒弟制度を保持して捨てきれないからだ。

 日本人は変化を好まない保守主義だという説がある。起業の盛んなアメリカでいわれる。
だが頑迷固陋な新聞ですら朝日も読売も毎日も、主観ストーリーを取り入れるようになってきた。主観ストーリーは異端の記者の表現や視点が読ませる。テロ事件の原因は「失業と貧困だ」と見えすいた建て前に逃げ込むのはそろそろやめようじゃないか。貧困だけをテーマにして社会構造を変えようとがんばる記者がいてもよい。
(PCの不調で更新が遅れました)


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