ペン森通信
大量死をまねいた軍医森鴎外頑迷
 身体検査という言葉はいま、政治家とくに閣僚の金銭的な前歴を調べるという意味で使われる。ぼくの小中高時代はまだ健康診断とはいわず、身体検査とよんでいたように記憶する。必ず実施されたのが脚気(かっけ)の検査だった。膝頭を小槌のようなもので叩いて、膝下の脚がぴくんと反応するかどうかを調べるというものであった。反応すればOK。

 脚気は日本特有の難病とされ、3代将軍家光、13代家定、14代家茂、家茂に嫁した皇女和宮も脚気で亡くなったといわれる。昭和15年ごろまでは毎年、1万人の死者を出していた。これが軍備増強の日本にとって、悩みの種だった。ものの本によると、日清戦争の戦死者453人に対して脚気による死者は4000人をこえた。日露戦争では脚気で2万7800人の将兵が死んでいる。

 脚気がビタミンB1欠乏症であることは現在ではよく知られるが、あの偉大な森鴎外は死ぬまで細菌による感染症と主張していた。鴎外は明治時代、大日本帝国陸軍の軍医で陸軍軍医総監までのぼりつめた。除隊後、小説に専念するが、軍医のときにドイツに留学して、ドイツ医学を修得する。バリバリのドイツ医学者であったのである。陸軍=ドイツのつらなりを形成したのが東大出身者。脚気細菌説で凝り固まった一派だった。

 陸軍には日清戦争以前、兵食に麦飯を採用していたせいで、脚気は見られなかった。麦飯にビタミンB1が含まれているのを知ってのことではなく、それは経験によったのである。ところが鴎外はこれを蔑視する。日清、日露の戦地へ麦を送ることを反対して、白米主義に固執しこれが大本営の方針となる。結局、鴎外はロシアのどの将軍よりも日本兵を殺したという批判につながった。

 片や海軍は軍医・高木兼寛(のちの海軍軍医総監)が脚気は食物が原因である、との説をとる。海軍では脚気患者は出なくなった。陸軍の白米主義に対し、海軍は麦飯主義。くっきりと分かれて、日露戦争で兵力が低下した陸軍は203高地で苦戦、海軍は海戦で歴史的な大勝利を収める。海軍はイギリス派で頑迷な方法論にこだわるドイツ流にくらべて、経験と現場を重視した。これはわれわれにも教訓をあたえてやまない。興味のあるひとは吉村昭の『白い航跡』(講談社文庫)を読まれたい。鴎外は短編『妄想』で自説を披露しているらしいが、読んでない。

 
 
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この記事に対するコメント

権威とは恐ろしいものですね。権威のある人が間違った自説に凝り固まるせいで、下々の人が犠牲になるのは、本当に納得がいきません。ましてや、その権威者が罰せられずノウノウと生活するなど、言語道断です。
【2007/09/22 12:45】 URL | らっしー #- [ 編集]


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