ペン森通信
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就職の失敗を糧とした植村直己
 きのうはペン森を16時すぎに閉めた。大雪のためである。暗くなりはじめた時刻、駅から自宅へ行く途中の公園の外周路で通行人のために雪かきをしているおじさんとおばさんがいた。えらいなあと思った。「ご苦労さま。助かります。ありがとう」とつぶやきながら通り過ぎた。けさ雪かきのすんだ外周路はふつうの靴で歩けた。いったんは長靴をだしたのだが、記者時代大雪取材に使ったもので、この日本晴れの空の下ではおおげさすぎる。

 靴の替えと靴下の替えをリュックに詰めて電車に乗った。神保町界隈でも嘘のようにまぶしい陽光に照らされて雪はみるみる溶けていった。長靴を履いてこなくてよかった。と思うと同時に,履いてくれば個性が立ったのに、という気持ちもある。テレビのレポーターの足元を見ると、こぞって柄模様のカラフルな長靴を履いている。田舎で農作業をするひともまだ黒か白一色が多い。どうせ泥まみれになるのだから黒一色が理にかなっている。

 長靴というと思いだすのだが、数々の偉業を成し遂げた世界的な登山家にして冒険家の上村直己である。公子未亡人から聞いた話だが、植村の父親が上京してきたとき、東京駅のホームで植村は父親と離れて歩いた。兵庫の田舎から息子に会いに出てきた父親は、天秤棒を担いで、その棒に黒い長靴を結わえていた。「私が並んで歩いたのよ」と、未亡人は穏やかに笑っていた。あまりの田舎丸だしの父親に植村は赤面していたにちがいない。

 植村の実家は田畑のなかの1本道を行った先の、長三角形地形の二つの長辺が交わる寸前のところに建っていた。決して裕福な感じではなく、木造の古びた平屋。もう30年近くも前に植村の故郷を訪ねたときの記憶である。このような田舎からかくも偉大な人物がでたのだなあ、とぼくは感嘆しきりだったのだ。いま考えると、植村の人生を変えたのは就職の失敗だ。かれは明治大学の農学部に入り山岳部に加わるが、就職はできなかった。
 
 もし植村が順調に就職していたら、世界的な冒険家にはなっていなかった。就職に失敗したことをかれは忘れてはいなかったようで、ぼくが毎日新聞からTBSブリタニカに転じたさい「安定した職からよく転職しましたね。あなたこそ冒険家ですよ」と目を丸くして信じられない表情をしたのだ。就職できなかったかれは、窓ふきの仕事をして、新天地を求めてアメリカへ渡る。そこで実入りのいいアルバイトをしてお金をためる。

 とんかつ屋の娘公子と結婚するとき、すでに有名な登山家だったが、「もう山には登らないから」と約束し安心させる。しかし、かれの血は騒ぐ。登山をしない代わりになにをやったかというと、冒険だ。アマゾンの単独河下りに挑み、成功する。その後、単独で犬ぞりを操って北極点に到達し、グリーンランドを単独犬ぞりで縦断する。公子が終点で迎えたが、妻をみた植村はただ「おう」と言っただけだったらしい。照れくさかったのだろう。

 植村は実直素朴のまれにみる好人物だった。なぜ就職に失敗したのか、面接官に人物を見る目がなかったいうほかない。だがかれは失敗をエネルギーに転換した。就職できなかったからこそ、植村直己は歴史に名をとどめるのである。今春採用試験のESがはじまった。もし失敗してもそれを糧とする強い精神をもて!
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