ペン森通信
原発が露呈させた民主主義の限界
ノーベル文学賞をもらった中国の莫言は、まったく知らない。作品名に『赤い高梁』があるのを新聞で知り、映画『紅いコーリャン』の原作ではないかと思った。事実そうだった。この映画はチャン・イ―モウの初監督作品である。少女がハンセン病の年齢の離れた男の嫁にやらされ、広大なコーリャン畑のしじまを破って奥の一軒家で初夜を迎えた少女の短い悲鳴だけが響く。この映画は、このシーンが謎めいた強い印象として残る。

 中国映画は田舎の風景がぼくらの年齢にとっては、どこか懐かしく、もうそれだけで涙ぐんでしまうシーンもある。『初恋のきた道』『小さな中国のお針子』『山の郵便配達』…まるで戦後間もないころの日本の山村を思わせる風景がぼくは好きだ。いがみあう日本と中国だが東洋独自の自然情景に共通の心情を感じる。中国がいかに広大とはいえ、人々が身を寄せ合って暮らす内陸山間部の静かなたたずまいは古い当時の日本それと同じだ。

 中国映画はどことなく映像に透明感がある。だが『紅いコーリャン』は一転して、暴力的。それもそのはず、反日ゲリラを扱っている。この間の反日デモでもテレビはゲリラ化してテロさながらの暴力若者を写しだしたが、中国人の怨念は、根深いのではあるまいか。太平洋戦争で被害国の戦勝中国は日本に賠償を求めなかった。日清戦争で勝った日本は敗れた中国から賠償金をとった。その怨念は忘れっぽい日本の比ではないだろう。

 莫言は日本でも知られた作家らしいが、あまり食指の動く作家ではない。村上春樹もエッセーは『村上朝日堂』などは好きで愛読したが、小説は吉村昭や藤沢周平ほどの好みではない。『1Q84』はエンターテイメント性が強いというが、読もうとも思わないからコメントはなにもない。『ノルウエ―の森』は昔、上下目を通したが、憶えているのは表紙の原色と題名だけだ。『風の歌を聴け』も内容はまるで忘却の彼方。これも題名が記憶にある。

 その村上春樹の才能を認めてノーベル賞候補になりうると、早くから太鼓判を押していたのが先日亡くなった丸谷才一だ。丸谷もまた作家でエッセイストで英文学の権威で、マルチの才人だった。いかにも朝日新聞に合致する肌合いの持ち主と見られがちだが、毎日新聞に近かった。論説委員を描く『女ざかり』は毎日新聞がモデルといわれる。世評の高い毎日の書評欄は丸谷が一新した結果であった。丸谷は毎日書評欄の顧問を務めていた。

深い知性の丸谷才一は原発をどう考えていたのだろうか。リトアニアの国民投票は62・70%が原発反対の意思表示をした(15日現在)。古今東西の書物や人物を土台にエッセーを知的に展開する丸谷のコメントを耳にしたかった。原発が稼働すれば、放射性廃棄物はどんどん蓄積していく。この廃棄物をパックしたガラス固体化が安全になるのは10万年先だ。人類は15万年に誕生した。10万年先、人類は生存しているのだろうか。

 われわれは未来世代に対する責任を負っていないのだろうか。負っていると認識すればこそ、CO2の排出を問題にしているのだ。民主主義は現役世代の利益調整を図るにはいい制度だが、原発で限界を露呈した。いまさえよければ、いいのか。自然がぴくぴくと息づいていたころが懐かしいのは、郷愁ではなく、反省からだ。民主主義に代わる新しい制度をだれか考えだしてくれ!
 

 

 

 

 
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