ペン森通信
梅雨明けの真夏は郷愁の季節
梅雨があけて、帰宅中の夜11時前に公園を通過している際、樹木の梢からたしかにセミの声がしていた。ことしはセミが鳴かないね、とペン森で話したばかりだったので、心境的にホッとした。早めに羽化する二イニイゼミだろう。暑い夏はどういうわけか知らないが、郷愁を刺戟する。ぼくは半世紀以上前の少年時代を思い出す。中学の途中まで育った村は東側に山の連なる宮崎の農村で、その中心を流れる小さな川でひねもす遊んでいた。

 中学に入ると間もなく、鹿児島市に転居して、今度は自宅から歩いて行ける距離の磯という海水浴場に通い詰めた。高校時代の夏休みは勉強そっちのけで夕方7時前の下り列車が通るのを機に浜にあがった。桜島まで距離4キロだが、中間点の2キロ沖合で空気を腹いっぱい吸い、あおむけになってまだ明るい空を眺めていた。海水だからぷかぷかと浮くことができたのである。ときどき底からなにかに引っ張られる気がして不気味だった。

 沖合に出ると潮の流れで流され位置がずれた。浜まで泳ぎ着くのがけっこう大変だった。足がつったこともあったが、これはいったん沈んで海中で手を使って、思いきり伸ばしてなおした。毎夏2カ月も通っていたから、体は上半身逆三角形に発達して、海水パンツの跡がくっきりと大学生になっても残っていた。軟弱なコンニャク機能のいまでは想像できないくらい、胸も厚くたくましい10代20代。女子に見せたい精力的な肉体だった。

 8月中旬になると、クラゲがわいて体中を刺された。痒くて痒くて畳の上を転げ回ったものだ。中華料理のクラゲを食べたのは新聞記者になってからだ。こりこりしておいしくて、大量に食べたら、じんましんができてまいった。クラゲの毒素が体に残留していて、化学反応を起こしたらしい。70歳の半ばになろうとするいまでも恐る恐る少量口にするだけだ。少年時代の思い出はかくも肉体に潜んでいる。トラウマはばかにできない。

 泳ぎをおぼえたのは小学生のころ、村の青年団から川に放り投げられたからだ。なんとも無鉄砲な水泳の覚え方だったが、おかげで溺れそうになったことは1回もなく、無事にこれまで生きてこられた。やがて肉体を鍛えることもなく、心身ともにやわになったのは新聞記者というインテリ職業に就いたせいかもしれない。むかしの記者はたくましかったと振り返る元記者もいるが、よわよわしい文学青年崩れの被害者タイプも目立った。

 ぼくもどちらかといえば、よわよわしい記者でその証拠に事件取材よりも企画もの担当
が多かった。だいたい警視庁の捜査一課(殺人強盗担当)や四課(暴力団担当)の記者は、記者とは思われない粗暴なタイプが多かった。ネタとりのうまい記者と、書き手の記者という両極の流れがあり、ぼくは後者といわれた。強いてあげれば世相若者女性を得意分野とする軟派記者。恥ずかしながら、これはお前だ、という特徴はなかったのである。

 ただ、ユニークではあったと思う。大学の教養課程時代の哲学のレポートに子どものころよく見ていた馬の種付け場面を詳述して、教授を元気づけようとした。教授の顔色が悪く痩せて、息も絶え絶えの印象だったので、同じ男として奮い立ってほしかったのだ。無垢な少年時代、馬の種付けをつぶさに観察したのがぼくのすべての原点では、とも考える。
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