ペン森通信
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壮行会までに消えた酒8升
神保町に名高いビアホールがあるのをご存じか。靖国通りにあるランチョンである。いまでこそビルの2階に店を構えているが、昔はビルが建つ前の1軒家だった。店は1階。現在は明るく開放的だが、古い店は採光がわるく薄暗かった。だが、そのころから生ビールの名店の誉れ高く、吉田茂の息子の文芸批評家、吉田健一が隅に陣取ってちびりちびりとやっていたらしい。ぼくが通っていたころには、吉田健一はもう見かけなくなっていた。

ここの生ビールは乾いて冷やしたコップに7℃で供する、という。白髪の先代が注ぎ入れていたが、それはだれもまねのできない職人技で、数多のビヤホールはその味を再現できなかった。大酒飲みの吉田健一が通い詰めた道理である。ぼくも当時はビール派だった。たしかに適温かつ微妙に一味ちがって旨かった。2階に移った新しいランチョンにも何回か行ってみたが注ぎ手が2代目に代わり、ぼくはもっぱら、ウイスキーの水割りを飲んだ。

丸谷才一の古い随筆を拾い読みしていたら、「出陣」と言うタイトルの項に吉田健一がでてきた。昭和19年か20年の戦時中の古すぎる話題で恐縮だが、福島に疎開していた吉田健一のもとに召集の赤紙がとどいた。32か33歳の吉田は海兵隊に入隊することになった。そのとき吉田がやったのは、ただひたすらお酒をたくさん集めることだけだった。で、リュックに4本、両手にそれぞれ2本ずつ、全部で8本を持って東京行きの汽車に乗る。

 吉田のかみさんがそのとき言ったそうだ。「いったい、どこの世界に、お酒を8本も持って兵隊に行く人がいますか」。折しも舅の吉田茂は、戦争を終わらせようとした工作がばれて、憲兵隊に捕まって、獄中にいた。「子供の手を引いて駅から帰るとき、子どもが不意に、パパは死ぬんだね、と言いましてね。亭主はお酒をかついで入隊でしょう。お舅さんは監獄でしょう。心細うございました」と、これはかみさんが後日に述懐したことだ。

 吉田があれほど熱心に酒を集めたのは、入隊の壮行会に集まってくださる先輩知友に迷惑をかけたくなかったかららだそうだ。吉田は先輩知友に電報を打った。何日にどこそこでお別れの会をする、酒は用意してあるからご心配なく、と。ところが、汽車の中で4本の濁り酒が発酵して威勢よく噴出してしまった。1升ビンの底に少量しか残ってない。飲んでいい気持ちになるどころではない。残りの清酒4本を持って東京に到着した。

 着いたら、吉田は1本をぐいぐい飲みはじめた。そこへ来客がつぎつぎにあり、お茶がわりにだした。こうして3本は飲みほしてしまった。残るは1本。壮行会の前日、親交の深い文芸評論家の河上徹太郎と中村光夫がやってきた。2人はあすまで泊まり込みで別れを惜しもうという流れになった。こうして最後の1升は消えた。壮行会には集まった文学者のだれ一人として酒を持参せず、一滴も酒がないまま、みんな怒り狂った会となった。

 戦争末期の酒不足は想像以上の深刻さで、酒好きの戦中日記には必ず入手できた際の飛び上がるような嬉しさがあふれでる。ぼくも切れ目なく飲んでいるが、高校時代のように芋焼酎のお湯割りに切り替えたら、体調もよくなった。肝臓の数値もほぼ平均値まで回復した。これで体の機能が高校生並みに復活してくれると、いうことなし。それにしても昔の男たちは酒に関して底知れぬ強さと執着があった。とても及ばない。

 



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