ペン森通信
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不倫は日本の文化だった
 姦通という言葉はほとんど死語である。浮気もあまり使われない。ぼくは旧式の人間なので、不倫よりもしめっぽい姦通や浮気や情事や密通や不義に愛着をおぼえる。愛着があるからといって、期待されても困る。ノンフィクション『コンニャク屋漂流記』が第63回読売文学賞「随筆・紀行賞」を受賞したが、コンニャクとしては読まねば、と学生からひやかされる。ぼくはもはやその方面には実践も実戦も関係のない機能喪失の高齢者です。

 期待にたがわぬ官能発揮の活躍をみせたのは、小栗旬ではなく、むかしの耽美主義文学の国民詩人、北原白秋。「待ちぼうけ」や「この道」などの童謡で親しまれる白秋は、浮気相手の人妻の夫から姦通罪で訴えられ、起訴される。以前の刑法には姦通罪があったのである。「有夫ノ婦姦通シタルトキハ2年以下ノ懲役ニ処ス」。妻が姦通すると、夫は妻とその姦通相手を告訴することができた。夫は姦通しても人妻でないかぎり、問題なかった。

 ぼくがもっと若く力みなぎる妻子ある公的立場の壮年であっても、若い独身女子と情事にふけってもなんの咎めも受けなかったのだ。妻の目と腹上死が怖いだけである。腹上死といえばけっこうあるらしい。ぼくのように飲酒を伴う高血圧初老は脈拍が異常に速まってしまうから、実力を超えてがんばってはいけない。話がずれた。いま公的立場の男性が人妻や独身女子と情を通じたら、フライデーがほっとかない。窮屈な世の中だ。

 その点、ぼくは公的立場ではないし、有名人でもない。気楽な自由人ではあるが、コンニャクがかなしい。ぼくは性愛とはほとんど無縁ではあるが、それに関する情動は豊かである。枯れるということがない。ぼくは文学者ではないから、これは想像だが、日本の文学者は情動豊富でやりきれぬ思いをしてきて、それを作品にぶつけたひとが多いのではないだろうか。1000年前の『源氏物語』以来、密通姦通は日本の文化の伝統だったのだ。

 だから素足で靴をはくタレント石田某が、「不倫は文化」と言ったのには深い意味があったのである。言い得て妙。ぼくは密通文学の戦後の最高峰は藤沢周平の『海鳴り』だと思っている。人生を考える高齢男性には胸が詰まる内容だ。話があさっての方向に行ってしまったが、もとに戻すと北原白秋の姦通について書くつもりだった。白秋はきわめてナイーブな抒情性を童謡によって表すが、じつは性愛の陶酔に自己を解放した男だった。

 『ここ過ぎて 北原白秋と3人の妻』を書いた瀬戸内寂聴は天台宗の尼僧になったが、学生結婚して夫と子どもをすて、「不倫こそ真の恋愛」というほどの自由人で、白秋を書くにふさわしい作家といえよう。本の題名は「ここ過ぎて官能の愉楽のそのに」という白秋の『邪宗門』からとっている。白秋は最初の姦通相手の印象を「下腹部できゅっと締って腰の出っ張った」日本人離れした女性と表現している。助平な目つきが想像できる。

 文学者というか文士は男ざかり、女ざかりに姦通して元気になり、傑作を残した。日本の文学や文化の地下水脈には不貞不義密通が伏流しているのである。日本人は単純真面目そうに見えるが内面は、大いなる助平というのが実体なのだ。

 

 
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