ペン森通信
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わが庭のメジロを愛でる朝
先週金曜日からPC不調につきこのブログの更新ができなかった。本日再開可能となった。
 
ミカンをまん中から輪切りにして割り箸に刺し、それを植え木の横に刺しておくと、可憐なメジロが飛んでくる。切り口にくちばしを突っ込み、新体操よろしく柔軟に体を動かして、周囲を警戒しているようすをドアのガラス越しに見つつ、ぼくは朝食を摂る。小さな庭だがモクレンやモッコスも植わって冬でも葉を茂らせているので、小鳥は1匹あるいはつがいで来やすいのだろう。庭の樹木からドアわきのミカンに降りてくるのである。

 ときどき小柄なメジロより四回りくらい大きいヒヨドリもやってくるが、こっちは荒々しくミカンを食い散らかして品がない。メジロが美しい緑の服をまとった清らかな少女なら、灰褐色のヒヨドリはがさつな酔っ払いのじじいだ。去年までは近所のネコのクロちゃんが庭先をうろうろしていて、野鳥たちも落ち着かなかったのだが、今年クロちゃんは姿を見せない。歳をとって寝たきりになったのだろうか。クロちゃんは老猫だったのだ。

ぼくの住んでいる辺りはかつての多摩丘陵地帯。ハイキングコースだった。ぼくは最初の赴任地が八王子支局だったのでいまの居住地あたりも取材範囲だった。多摩市役所は鉄筋コンクリート建てになっているが、当時の多摩村役場は木造2階建てだったように記憶している。村長の秘書嬢がかわいくて、用もないのに通ったものだ。ハイカーが地図を片手に丘陵地帯を歩いていたら、民家の玄関先に着いたという記事をぼくは書いた。

 50年前のそのころから高度成長につれ、東京一極集中による都市化は確実に進みつつあった。八王子から葛飾区や江戸川区という下町の事件・事故担当となるが、アパート、住宅が畑の近辺に建ち並び、子どもが用水路や畑の肥溜めに落ちてよく死んだ。子どもは急激な都市化の中に残存する田舎に適応できなかった。ぼくは都市が無秩序に拡大するスプロール現象とそれがもたらすひずみについて、なにも認識していなかったのである。

 ただひたすら現象を追いかけて、昼食を食べるのが夜になるのも珍しくなかったサツまわり時代。いまのように便利なスーパーやコンビニなんてあるわけもなく、ぼくの食事は記者クラブがあった本所警察で他の記者に出前のラーメンの汁だけ残してもらって、警察署の用務員のおじさんからもらった飯にかけてすませたりした。給料は酒に消えていた。亀有署の警部補はぼくをよく呼び出しては 夜勤警察官の賄い夕食を食べさせてくれた。

 癒着なんてものではなく、完全に同化していた。没収したエロフィルムは試写会と称して鍵をした部屋で若い記者と捜査官が観賞した。遅刻した朝日記者がおれにもみせろ!と激昂したことを思い出す。60年代のはじめ、社会はまったくゆるかったのである。多摩丘陵が宅地開発されるとは知らなかった。わが家は多摩ニュータウンの外側にあるが、周辺は丘陵地帯の名残で野鳥も多く、わが庭までえさを求めてやってくるのである。

 いまや多摩ニュータウンも、大都会の中の限界集落のようである。30年近く居住しているうち、町内の子どもの入学祝は消滅し、顔なじみも見ないと思ったら亡くなっている。ネコの多い町内だったが、すっかりネコも見なくなった。老人の送り迎えをする介護の車だけが増えた。時代は容赦なく流れて、現実がどんどん様変わりする。老境のぼくは小さいころ小鳥を殺した罪悪感を反芻し、二日酔い知らずの健康体で朝、メジロを愛でる。
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