ペン森通信
面接官にも人間性を求める
 新年になると「謹賀新年」と前置きして長いメールが届いていたひとから、今年は来なかった。どうしたのだろう、偉い医学者だから健康を損ねるようなことはなく、元気だろうと心配もしてなかった。ところが昨年11月10日に亡くなっていた。東大の医学部長をしていたとき知り合った鴨下重彦博士である。東大退職後は元国立第一病院、国立国際医療センター総長に就いたあと、下町の小さなキリスト教系病院院長になり驚かせた。

 鴨下は北海道室蘭から1952年、2人の友人とともに大学受験のため上京する。鴨下は東大医学部に、他の2人は東大法学部と横浜市立大学に進む。小児神経学の権威となっていた鴨下が医学部長の際、ぼくに他人の著作の巻頭言やエッセーの添削を横浜市立大卒の友人Hを通じて頼んできた。鴨下は、学術論文以外の文章は不得手だと謙虚だった。それ以来20年のつきあい。ぼくが病気なったら、鴨下の人脈にすがるつもりだった。

 鴨下は、ぼくより4つ上だ。前立腺がんで77歳にして逝くが、もっと生きていてほしかった。横市立大卒のHは河合塾の幹部でぼくが40代のころに取材で知り合い、お宅に伺って飲むほどになった。もう一人の東大法学部卒は文部事務次官に上りつめたそうだが、ぼくは面識がない。鴨下は学生時代セツルメント活動をしていたと東大前のレストランでごちそうになったとき語っていた。キリスト教に学び、その際、内村鑑三を話題にした。

 カトリック教会の信徒代表を務めたりしたHとは気が合う仲に見え、ぼくも仲間に加わった。3人でしばしばゴルフにいったが、鴨下はグリーン上でパターを縦にして時間をかけたが、カップを大きくはずし、まれに見るへたくそだった。その当時ぼくは三菱パジェロの3Lショートに乗っていたが、鴨下はやたら運転をしたがった。飛ばし屋だった。走りながら「この赤いのなに?」と聞くので、見るとハンドブレーキを解除してなかった。

 泊まりがけで行った宿でテレビがサッカー中継をしていた。延長戦でも勝負がつかず、PK戦となった。鴨下は「残酷だなあ」と一言。なにがなんでも決着をつけるのではなく、引き分けにして両方に栄誉を与えたら、という心境だったと思う。鴨下は争いごとの嫌いな優しい無私の人格者だった。「東大の医学部生はどこかおかしい。面接重視の入試にしなければ」と言っていたのも、医師は人間性が最も大事だと考えていたからにちがいない。

 高校時代の同窓3人のうち東大法→文部官僚のその後を知らないのが残念だが、横市立大卒のHは77歳になっても、細君とは恋人同士のようにアツアツぶりだ。鴨下はもうこの世にいない。同じスタートでも、紆余曲折を経て、だれしも終末を迎える。ペン森17期生もそろそろESがはじまるが、人生航路の航海に乗り出すのはまもなくである。海は広く、深く複雑だ。よき船長や船員仲間との出会いに恵まれ、荒海も乗り切ってほしい。

 おととい、四国八十八か所を歩きとおした17期生が帰京してきた。朝6時に起きて白装束に着替え7時に歩きはじめるという毎日。かれは16期からのスライドし就活2年目だが、こんな感受性に満ちた活動的な若者を採用側はどうして見逃し、不採用にしたのだろう。必死に就活をする若者を見るにつけ、採用側の人間を見る目の劣化が許せない。鴨下は医学部受験に面接の重要性を力説したが、面接官に人間性がなくては効果もない。

スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://penmori2007.blog108.fc2.com/tb.php/414-9f23fdf3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

瀬下先生

Author:瀬下先生
FC2ブログへようこそ!





最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する