ペン森通信
「うそだろ!」と叫びたくなる津波のあと
 松島センチュリーホテルの温泉は日本酒にたとえるなら、淡麗さわやか、気品のある美少女だ。大浴場にはやや熱め、とややぬるめと二つの湯ぶねがあった。当然ぼくはぬる湯につかる。これは快適、透明な単純泉のさらさらしっとり湯。美少女湯を楽しんだ。昨日から風雨に激しく悩みながら、宮城県の被災地をめぐって回向の旅をしていた帰路であった。仙台の銀行に勤める卒業生が名案内人になってくれた。

 その日の朝はまず根こそぎさらわれた南三陸へ。3階建ての防災対策庁舎は鉄筋の骨組みだけが、あばら骨状態で残っていた。ぶら下がっていた鉄板が強い風にガランガランと壁や鉄筋に打ち付ける。平べったい更地になった住居跡にはコンクリートの土台が残っているだけ。「うそだろ!」と叫びたくなる生命感のない風景がひろがる。そのなかにぽつんと生活の匂いのするバラックが建っていた。理容と書かれた旗がはためいていていた。

 前のスペースに軽自動車が停まっていた。床屋の中から、おじいさんと中年女性が出てきた。地元の老父と娘らしい。娘の運転で車は見通しがよく、道筋がはっきりわかる光景の中を山のほうに去って行った。周りをよく見ると、ほかにも背の低い土気色のバラックがぽつりぽつりと建っている。遠くに機動隊服の警察官がバラックに近づいて行くのが見える。バラックはコインランドリーのようだった。急ごしらえのコンビニもバラックだ。

 ぼくらペン森生は南三陸から石巻、女川の津波痕跡をたどった。4階建と5階建ての2棟とも最上階までがらんどうになった南三陸の志津川病院は無人の病室に犠牲者のうめきが折り重なっているようだった。全校108人のうち68人が死亡6人が行方不明になった石巻大川小学校の裏には山が迫っているのに、生徒は津波の来る方へ誘導された。校舎の壁に捜索の写真が貼ってあったのが虚しい。誘導の判断ミスを責めてしかるべきだろう。

 石巻雄勝町の公会堂の屋上には、津波で流されたま南三陸観光バスがまだ乗っかっていた。広大な裏庭にはがれきが台形の山となって大量に積まれている。川沿いの道の先に雄勝中学校があるが、公会堂への立ち入りを見張っていた警備員によると、生徒は無事だったが、ここまでくれば安心とお茶を口にしていた大人が津波に呑みこまれたそうだ。日曜日だったから、観光客も目立ち屋上の観光バスを撮影していた。ぼくらもそのクチだった。

 初日は南三陸のホテル観洋に泊まった。太平洋に面したリゾート大ホテルだ。3階まで津波に浸かったが、客も従業員も無事だった。8月9日に営業再開。温泉があり、ボランティアや復興関連の作業員や応援警察官がほっこり休む。ぼくらが泊まった日もほぼ満室で被災地の宿泊施設は震災関連のひとたちで埋まっている。道路や橋が通じているのは、全国から寄せてきた作業員の労働に負うだろう。宿泊施設のルポもおもしろかろう。

 以上、9カ月たつ被災地の現象的なことを書いたが、考えたのはひとの生と死の差、運命、幸福と不幸、それらのすべてをふくむ人生ということであった。ぼくみたいになんのわだかまりもない自由人も、人生が突然断絶されるという大津波の大暴力に絶句した。拘束や制約を嫌う自由人は災害からも解放され、いつまでも自由だと思う気持ちがどこかにあったのだ。

 

  

 
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