ペン森通信
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電車は通常ダイヤに戻ったが・・・
 朝、神保町で降りるつもり乗りすごしてしまった。節電ダイヤが通常にもどったことは知っていたが、電車に乗っているうち、都営地下鉄内も急行運行に復したことを忘れてしまった。各駅停車に乗っていると思って本を読んでいた。うっかりミスである。節電ダイヤが元にもどり、3・11ははるかかなたに去ったかというとそうではない。あれから半年あまり、まだ心理のどこかに名状しがたい不安感は消えないまま巣くっている。

 今週から中大の論作文講座がはじまるが、講師のぼくは初回に返却する課題文の提出を課した。『震災歌集』(長谷川櫂)のなかから1首を選んで、400字で考えたことをかきなさい、という簡単なもの。受講生は30人以内と制限しているが、年を追うたびにすくなくなって、今回は20人。男女半々のようだ。この講座からは朝日と読売の総代を出しており、総じて意識も高くレベルも高い。今年の受講生に会うのが楽しみだ。

 17人のうち同じ歌は2首4人。それは「つつましき文明国であるために必要なもの不必要なもの」という1首である。1人は「つつましさ」に焦点を絞って「私は今までの明るすぎた照明に何も感じてなかった自分が恥ずかしい」と記している。もう1人はスーパーでのアルバイト体験から「日本人の秩序と礼節が世界で称賛されたが」、「水や食品、また電池などの生活必需品の買い占めもあった」と日本人の集団行動の悪い面も指摘した。

 もう1首は「かりそめに死者2万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを」。1人は「事実を正確に伝えるのがメディアの役割ではあるが、その事実によって生じた人々の悲しみ苦しみも世の人々に伝えてこそ、真のメディアといえるのではないだろうか」と意見を述べている。具体的なようでなにも訴えない空疎な考えは、いかにも頭だけの学生らしい。ぼくはこの感想文を相対化不能な最初に読んで、高得点を与えそうになった。

 そもそもメディア論に発展させるというところに無理がある。災害や戦争の被害状況は死者の数によってその様子がつかめるという側面がある。ぼくはこのような場面での主観報道を否定するものではない。死者が幼女であれば、その幼女をクローズアップするのも主観報道だろう。もう1人の受講生は「数字が大きくなればなるほど小さく思われがちな一つ一つの命の重みを訴えたかったのだろう」と素直に解釈して、説得力がある。

 あと受講生が取り上げた歌はさまざまだが、やはり自分の体験や経験に引き寄せた文章に力がある。「復旧とはけなげな言葉さはあれど喪ひしものついに帰らず」。震災で失われたあらゆるもの、いのち、自然、家屋は元通りにすることはできない。「我々はまずこの現実と向き合い、前へと進んで進んでいかなければならない」と力説しても、具体性に乏しい。論作文は具体的な案やエピソードを引き合いにだすのが一番印象に残る。

 学生は抽象論が好きだ。その論には実体を伴ってないことに気づかない。学生だけでなく、学者もそのような傾向がある。アカデミズムとジャーナリズムは反対概念だが、最近は新聞に学者の起用が多くなった気がする。だが新聞がおもしろくないのは学者の執筆が多くなったのが理由ではないだろう。新聞をおもしろくするにはどうすればいいか。そんなことを考えていてはまた電車を乗りすごしてしまう。

  
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