ペン森通信
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失言大臣の失言は失言だったか
この秋採用試験の作文(小論文)の題は朝日新聞が「ことばの力」、NHKが「言葉の重み」だった。たぶん鳩山由紀夫から菅直人へとつづいた民主政権のあまりの思いつき、その場かぎりの発言などから発想したのであろうが、重みにしろ、力にせよ、どこかこうあるべきという説教めいたニュアンスのある上から目線の題。自分たちは言葉の価値を知っているぞ、という権威主義がぷんぷんにおい、メディアとしての反省のない題であった。

読売は「災前、災後」。構想会議に福議長としてはいっている政治学者の東大教授、御厨貴が「これからは戦後ではなく、災後と呼ぶべきだ」という大震災後の命名をそっくりちょうだいしている。御厨教授は「災前災後」は戦前戦後にとって代わる表現というが、題震災から半年たってこの表現が定着しているとは言えない。読売は特別編集委員の橋本五郎が構想会議のメンバーに名を連ねているので、その影響があっての題だったかも。

朝日にしてもNHKにしても作文(小論文)としては、「約束」とか「信頼」といったエピソードを力や重みに当てはめて書けばいいので、題としては簡単だ。ぼくが採点官ならむしろ、「言葉の無力」を表現した者がいたら高得点をつけた。大震災は日本人の死生観を直撃した。あの未曾有のすべてをなぎ倒した自然の猛威が胸に迫り、「日本は一つ」とか「がんばれ東北」と叫んでも無力感に襲われた。だから言葉商売の作家たちは無言だった。

新聞テレビのメディアは過剰に雄弁だったが、過剰なゆえにかえって訴求力に乏しく空疎だった。集中的に特定のテーマに絞り込んだ毎日新聞の2ページ見開きの検証ドキュメンタリー(6月10日ほか)は新しいニュースも加えて読みごたえがあった。菅直人前首相のインタビュー証言を基に構成した見開き「日本がつぶれるかも」(9月7日)もよかった。でもメディア志望の若者が集うペン森で話題になることはなかった。読まないのだ。

事実を拾い集めて積み重ねていくドキュメンタリーやルポルタージュは良質な新聞の武器だとぼくも賛同するが、読まれなくては詮ない。ツィッタ―の促成短文に慣れた若者は見開き長文は読みこなせないし、その時間もない。第一、新聞社が考えるほど価値ある表現方法だとも思ってない。ほぼ10年前の7期生までは新聞コラムをめぐる仲間の論争もあったが、いまは新聞の内容や表現をめぐって議論するという風潮が消えてしまった。

たとえば、鉢呂吉雄前経産大臣の失言問題。以前のペン森だったら全員がメディアの言うとおりにはならなかっただろう。ぼくに対して「死のまちのようだった」のどこがいけないのか、と突っかかってくる学生が必ずいたはずだ。それは事実でしょう、事実を排除するのですか。あるいは、大臣はありのままをそう見るだけの感性や感受性があったわけでしょ、その感覚は大切じゃないんですか、と。ぼくは一言も言えない。そのとおりと思うからだ。

「放射能をつけちゃうぞ」は子どものおふざけレベルだが、このおふざけは最初、毎日の記者に防災服をするつける仕草をして言ったらしい。これを翌10日になって伝聞として報じたのはフジテレビ、あとは雪崩を打って一斉報道したと13日の朝日が検証している。赤信号みんなで渡れば…自主判断の欠如か思考停止というほかない。メディアは全体の方向に寄りかかってそれを増幅する。その言葉の洪水を大衆は信じる。



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