ペン森通信
ネット・SNS時代の新聞
フェイスブックをはじめた。まだ利用の仕方がよくわからないので滞りがちだが、ぼちぼち慣れてくるだろう。ツイッタ―とどう違うのかも判然としないが、フェイスブックは発信すると反応が速く、また多人数である。若い知人のあいだにかなり浸透している。いかんせん個人あてのメッセージの送り方もまだ勝手がわからず、まるで若葉マークだが、親しい仲間のいまを覗き見る要素もあって、情報ゲームのようなおもしろさがある。

おかげで通常思い出さない卒業生を何人もピックアップできた。フェイスブックは実名登録のところに、匿名とはちがう責任が伴い、気軽ななかにも気軽にできない側面がある。チュニジア、エジプト、シリア、リビアと燃え広がった民主化の波はこの新しい伝達手段を駆使して大衆を動かした結果である。その実名性ゆえに日本ではあまり普及しないだろうと見られていたが、若い人を中心に野火のように拡大しているようだ。

ぼくはツィッタ―にもまったく縁がないが、いわゆるSNSといわれるコミュニケーション機能は2000年代に入ってからはじまったものらしい。インターネットだって、わずか40年の歴史しかないが、日本の普及率は75%に達している。90%台の北欧諸国に届くにはまだ余地があるが、日本は名だたる高齢社会である。老人が慣れ親しむようになると普及率はあがるだろう。親しんでいる世代が高齢になったらどうなるのだろうか。

ぼくは新聞で呼吸をしてきたアナログ世代だから、新しい電子機器にはどうしてもなじめない。なじめないからわからない。だから余計に遠ざけてしまう。必死になって付いていってやっとこのPCブログができるようになったが、これはペン森で若者に囲まれていることが大きい。隠遁孤立生活を送っていたら、まだPCも扱えないにちがいない。さて、アナログ世代がいなくなったら、アナログメディアはますます苦境に立つだろう。

とりわけ活字メディアは生き残るとしても変質せざるをえなくなる。新聞は日本独自の個別配達に支えられているが、配達員の確保はむずかしくなる一方だ。内容面では調査報道やルポルタージュ(ドキュメンタリー)や検証記事に活路を見出そうとしている。以前、雑誌がやってきたことを日刊紙がやろうとしているのだ。進歩なのか退歩なのか、わからない。ニュージャーナリズムの旗手として登場した沢木耕太郎時代に戻った感もある。

新聞は日本の途上国型の中央集権体制に寄りかかってきた。地方紙はそのひな型である。地方分権が成り立てば、おのずと変容してくるだろう。外的な条件として、立ちはだかってきたのがインターネットである。新聞を単独で購読している学生はほとんどいない。堅苦しい活字記事なんて就活時しか必要がない。それでもペン森は報道マンを育成しようとしている。新聞はまだ言論機関としての信頼性に最も優れているからだ。

新聞は速報性、娯楽性ではテレビに負けた。解説性でもテレビが優位。記録性ではネットにおよばない。唯一の強みが取材力に伴う信頼性だ。信頼性は客観事実によって成り立つ、という新聞人が多いが、ぼくは客観事実を読み解く主観の力が必要ではないかと考える。SNSは主観がウリになっている。沢木のキモも主観だ。事実の背後を見る目が大事だね。フェイスブックをはじめたら以上のメディア論に達した。
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