ペン森通信
「老いらくの恋」に生きる
人生で苦しいもののひとつに歳をとってからの恋がある。恋はもともと苦しくて切なくてやるせないものらしいが、ぼくはこの方面の内面には疎いので、実際はよくわからない。仮にぼくが恋におちいるなら、それは「老いらくの恋」だ。「老いらくの恋」は歌人・川田順が弟子にして人妻との恋愛事件で一躍知られるようになった。敗戦まもない昭和23年12月4日朝日新聞が社会面トップで報じて「老いらくの恋」が流行語になったのである。

 若き日の恋は、はにかみて
 おもてあからめ、壮子時の
 四十歳の恋は、世の中に
 かれこれ心配れども、
墓場に近き老いらくの
恋は、怖るる何ものもなし。(『恋の重荷』序)

朝日はこれに「老いらくの恋は怖れず」と見出しをつけて飛びついた。『恋の重荷』は自殺をはかった川田が東京朝日新聞の出版局長に遺書代わりに届けた長詩である。『恋の重荷』はもちろん、菊の手入れをする老人が天皇の第三夫人に一目ぼれした謡曲『恋重荷』からとったものであろう。川田は妻を亡くし、余生をひとりで送っていた。そして

 樫の実のひとり者にて終らむと思へるときに君現はれぬ

 知人のうちで美しい人妻に出会う。京大教授だった中川与之助の夫人、俊子である。俊子も歌を詠み、ほどなく川田の弟子になる。川田は『新古今集』の研究者として名高く、現天皇が皇太子殿下のころ御作歌の指導に当たっていた。朝日歌壇や歌会始の選者でもあった。東京帝国大学卒、住友総本店にはいり、常務理事まで務め筆頭の総理事就任も約束されていたが「その器にあらず」と自己退職する。

 一方、俊子は夫とのあいだに3人の子をもうけていた。川田と出会って3年後、ついに抑制できなくなった川田が告白すると、俊子もその愛情を受け入れる。【「主人にすみませんが、致し方ありません」と再三言った。私の強い愛に負けたといふ姿であった」】と川田は回想する。2人の秘密は俊子の夫にも露見してしまう。深刻な事態である。2人は会わないことを俊子の夫に誓うが、どうしても会わずにはいられない。昼間に逢瀬を重ねる。

 相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるる

 自殺をはかった川田は未遂に終わる。「たまきはる命うれしもこれの世に再び生きて君が声を聴く」と再生をよろこび、俊子との結婚を決意する。川田67歳、俊子39歳であった。28歳差のカップル誕生である。28歳なんて大した差じゃないね。ぼくは自分に照らして50歳差でも、許されるなら「老いらくの恋」をしたいと思うが、相手がいないか。川田ほどの純愛一直線にも自信がないし。

 何一つ成し遂げざりしわれながら君を思ふはついに貫く



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