ペン森通信
戦後史講座を始める
 ペン森は今年の秋採用挑戦組と来春挑戦の受講生をむかえているが、春採用に武運つたなく秋の延長戦に臨む受講生もふくめて人数は18,9人。人数が不確定なのは春に失敗した受講生の今後の態度が決まってないからである。さっそく7月15、16、17日と、2泊3日の合宿を行う。例年なら顔合わせの飲み合宿になるところだが、今回はESを徹底的に準備するES合宿になる。時間をみて作文の特訓もしたい。

 みんなそれなりに地力はあるが、ご破算と願いましては、の新規やり直しになってさらに力を加える工夫が必要だ。春の内定者がペン森史上最低の6人だったから、あと10人くらいは秋に内定してもらわねばならない。春に内定した6人は実力にプラスして、チャップリンのステッキ効果ともいうべき強みをもっていた。歴女、自衛隊高校在学歴、財務諸表が読める、ぶり縄木のぼり枝払い体験、アメリカの大学で学生記者をしていた…

 ステッキ効果は自らの体験や熱中してきたものなど、これまでの生き方や運に負う側面があり、直前にじたばたしても間に合わない。だが、作文やESに必要な考える力や地力は、その気になればすこしずつではあるが、身につけることが可能だ。考える力が備わればものをみる視点に独自性がでてくるようになる。独自性の蓄積が地力である。その一助として、7月4日から午後2時~4時、ペン森で戦後史の講義をつづけることにした。

 日本の戦後は昭和20(1945)年8月15日、天皇のラジオ放送(詔勅=玉音放送)によって戦争が終結してはじまった。玉音放送はラジオの受信状態が悪かったり、内容のわかりにくさで敗戦を理解した庶民はあまりいなかったと伝えられる。しかし「帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」とリード文(前文)の部分「共同宣言ヲ受諾」の文言で敗戦を知った庶民もいただろう。

 日本が米英などにポツダム宣言の受諾を伝えたのは前日だったから、対日戦争勝利の日は8月14日である。だから、実質的には敗戦は8月14日。きのう、沖縄では慰霊の日を迎えた。6月23日は沖縄戦終結の日ではない。司令官牛島中将らが自決した日である。司令部の崩壊を知らない兵士たちはなおも散発的に戦いを続行していた。牛島中将の孫は中学教師をしていて、生徒を沖縄につれていき「祖父は悪いひとだった」と話すらしい。

 ぼくは8月15日を終戦と指定しているのは気にくわない。8月14日敗戦が正しい。終戦と言い換えるのはごまかしだから敗戦と正確に表現したい。沖縄慰霊の日、6月23日も地上戦で多数の住民を戦没させたわけだから軍隊の親分の自決の日を慰霊の日に制定したのはおかしい。新聞表記では慰霊の日は「旧日本軍の組織的戦闘が終結した」(毎日)と苦しまぎれだが、記者ははたして実態を知っているのであろうか。

 ぼくの戦後史講義はややもすれば横道にそれるかもしれない。横道には作文やESのネタを用意しておこう。敗戦→終戦の言い換えは、戦車→特車でも例示できるが、抽象的でネタにするのはむずかしい。高度成長と団地、集団就職、定番エッチ場所などあまり語られない秘話もサービスしよう。あるテーマに興味をもつひとができれば、思わざる効用だね。半藤一利『昭和史』戦後編を基本とするが、あれこれ蓄積を披露したい。
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