ペン森通信
ペン森OBがまた朝日を辞めた
 朝日新聞記者のペン森OB、Mくんが退社した、という。詳しい事情はわからないが、ちゃんとした目的があればすばらしいことだとぼくは、周囲とはやや異なる感想をもった。朝日を辞めたペン森生は、ぼくが把握しているかぎり、これで4人になる。4人とも国立大学卒で、うち3人が東大卒、2人が法学部出身である。高給の日本の代表的メディアを辞める、というニュースは本人を知る身にとって大事件だ。

 人事異動はサラリーマンにとって最大のドラマである。退社は究極の人事異動だ。この種の話題はあっという間に全国規模の広がりを見せる。ペン森は朝日への就職率がきわめて高く、約40人が記者として活躍している。ほぼ同数が記者になっている薄給の毎日は退社ゼロ。40人近いNHKの2人、読売の1人に比べ、朝日は多すぎる。朝日の冷たい官僚体質はぼくも感じるが、なにか耐えられないような高慢な社風なのかもしれない。

 それでも朝日を辞めた4人のうち2人は公認会計士になった。将来への道はしっかり確保していた。Mくんの退社について「もったいない」という声があるなかで、ぼくがやや違う感想をもったのは、人生の方針を確定させた上での退社かもしれない、と思ったからだ。『空白の五マイル』で42回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した角幡唯一も朝日に5年在籍したがかれの場合、朝日記者もツアンポー峡谷に挑むためのプロセスだった。

 ぼくは2社辞めたから、所属する会社に対する帰属意識は濃いほうではない。辞めたのは毎日新聞とTBSブリタニカ。毎日は積極的に退社したわけではなく、2年近くも説得されて引き抜きに応じた。TBSブリタニカに『ニューズウイーク』の日本版をだす計画があり、その週刊誌づくりのハードとソフトの両方を知る技術者として乞われたのである。TBSブリタニカには11年在籍して取締役で退社して、ペン森を創設した。

 ジャーナリスト育成の血は毎日記者時代から流れていた。30代後半から周りに慶応、早稲田のマスコミ志望の学生が集まるようになり、酒を飲ませては作文の面倒をみたりしていた。マスコミは不特定多数に向けての情報を提供することで成り立つが、ぼくは特定少数の若者を対象にした寺子屋式の塾を開きたいと永年、胸にあたためていた。給与年収1800万円からほぼ給与ゼロになったが、厚生年金で息をついできた。

 TBSの『報道特集』がホームレスになった管直人の慶応出の盟友の特集をやっていた。そのなかで、朝日歌壇に登場したホームレス歌人の投稿者を探すドヤ街ルポ取材中の三山喬という人物が紹介される。三山は東大経済学部出身の朝日記者だったが、13年在籍して退社する。フリージャーナリストをしているうち、経済的に行き詰まってしまう。転進するつもりで雑誌編集者に最後の挨拶の電話をかけた際、ドヤ街ルポが決まった。

 三山のルポは本になった。『ホームレス歌人のいた冬』(東海教育研究所)。Mくんはまさか「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて1日生きる」というホームレス歌人のような境遇にはなるまい。なんらかの成算があって朝日記者を捨てたと思いたい。ルポを書きたいのであれば、場所提供も含めて協力したい。特定少数の終点は特定個人になる。ぼくはルポ作家を志す若い特定個人に対して、蓄積を接ぎ木できれば、と熟慮中である。 

 

 

 
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