ペン森通信
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作文の上達法は思考すること
作文の上達法についてよく聞かれるが、短期上達の極意というものはない。それは歌唱と変わらない。カラオケ下手が練習を重ねた結果、うまくなることもあるが、必ず一定のレベルで止まってしまう。それ以上の作文を望むには考えること、すなわち思考すること、ということを重ねねばならない。その前段として、言葉ひとつに対するこだわりと吟味があれば、それも考えることと無縁ではないから、効果はあるだろう。

 「たとえばぼくは」は、「例えば僕は」でもいいのだが、ぼくはやわらかい平仮名が好きだから、「たとえばぼくは」と表記するようにしている。「ように」は「様に」とは書かない。「平仮名」それ自体を漢字にしているのに他意はない。前後に用いた漢字が多いか少ないかによって、ひらがなにもするし漢字にもする。そのへんは臨機応変に使い分けている。「使う」だって「つかう」にすることもある。要するにそのときの気分や心境の問題。

 作家では、吉行淳之介は同じ言葉が一文のなかで平仮名になったり、漢字になったり、そんなことは気にしなくてよい、といっていた。関係ないが、ここで吉行にまつわるエピソードを思い出した。開高健と芝居をみていたとき、吉行が開高に「ちょっと待っていてくれ」と席を立った。30分後に戻ってきた。「30分で女優とヤッてきたんだよ。なんと素早い」と開高が感嘆していた。ふたりとも故人だが、味わいの異なる名文家だった。

 開高は「文章はメリ、ハリ、ツヤ、テリだ」といっていた。「ツヤ」と「テリ」の区別がよくわからない。「顔のつやがいい」とぼくはいわれることがあるから、ツヤは艶のことだと察しがつく。すると、「テリ」は「照り」か。女子中学生の肌はツヤではなく弾けるように照っているから、「テリ」もなんとなくわかる。では文章に置き換えるとどうなるか。開高文体もテリがあるような気もしないでもないが、深遠すぎてぼくはお手上げだ。

 井上ひさしに『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』という新潮文庫がある。文章読本はその井上をはじめ、三島・谷崎・丸谷と数多いが、おとなを対象にした作文読本は珍しい。井上曰く「作文の秘訣を一言でいえば、自分にしか書けないことを、だれにもわかる文章で書くということだけなんですね」。かねてぼくがいっていることと同じだが、果たして、その内容までしっかり理解できるひとは、どれくらいいるのだろうか。

 自分にしか書けないこと、とはずばり自分だけしか知らないこと。ほかのだれもわからない自分だけの体験と思えばいい。ペン森生も、大勢で同時体験する大学受験とか祖父母の認知症とか、ありきたりの題材を書く例が目立つものだから、ぼくは「体験ネタリスト」を作成した。新潟・旧山古志村手掘りトンネル、長野・無言館、山形・小中学生の早朝論語素読、島根・ロシア兵の墓、東京・靖国神社軍馬の慰霊碑、東京・慈恵院水子地蔵…

 ネタ先はそれ自体ドラマ性や歴史的な背景に彩られている。行ってなにを考えたか、がキモなのだ。その思考の先が井上のいう「だれにもわかる文章で書く」につながる。だれにもわかる文章とは、平易な表現ということだが、それだけではない。普遍性も重要だ。源氏物語は1000年たったいまでも読まれる。普遍的な価値があるからである。古いネタでも思考の結果が普遍的な価値へ昇華すれば、現在に通じるいい作文になる。
  
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楽しく・速く・上手くなる歌上達法です。

大好きな歌がお手本、大好きな歌手があなたの師匠です。自宅で、たった一人で始められるこの練習法で、あなたも【完全歌唱】をマスターしませんか? 歌の上達法【完全歌唱】【2011/05/21 06:59】

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