ペン森通信
GWは『東電OL殺人事件』
野村進『調べる技術・書く技術』と似たようなノンフィクション教導本に佐野眞一の『私の体験的ノンフィクション術』(集英社新書)というのがある。取材のノウハウを学ぶという点では野村本よりもこちらのほうが参考になるかもしれない。手がかりがなにもないまま取材を進めていった『遠い「山びこ」』(新潮文庫)。「山びこ」とは、山形県の豪雪地帯の農山間地にある旧山元村の中学校で作文教育を施した「山びこ学校」のことだ。

 その学校自体は過疎により2年前に廃校となったが、昭和23年無着成恭という教師が生徒に貧しい生活のありのままを詩、作文に書かせ、その文集が本になって、大反響を巻き起こした。英語、ヒンドゥー語、中国語にも翻訳され、映画化もされた。作文集は『山びこ学校』という題名の本になり、いまでも岩波文庫で購入できる。山びこ学校はペン森の論作文ネタにもリストアップしているので、旧山元村を訪ねていった男子が2人いる。

 佐野は無着成恭の教え子43人全員の40年後の姿を探し当てる。「遠い」という形容がついているのは、「山びこ学校」は歴史のもやのなかにかすんでしまい、生徒のその後に関心をもつ者もいない、という意味だ。無着成恭はもてはやされるが地元では批判も多く、東京の明星学園の先生に転じ、TBS「子供電話相談室」の山形弁丸出しの名回答者として人気者となった。ぼくたちの世代は「山びこ学校」も無着成恭も懐かしい。

 佐野が『遠い――』にとりかかったとき、「連絡先がわかっていたのは無着1人だった。無着も教え子の連絡先についてはほとんど何一つ知らなかった。43人の連絡先をどうつかむか。それ自体が最初の取材となった」。そこで佐野は「尋ね人」のプロセスをすべて書いていく、という方法を採った。「人から人へと伝手をたどって、どうにか43名の卒業生全員の消息がほぼわかったのは、はじめての山形訪問から2年後のことだった」

 佐野に言わせると無着が子どもたちに教えたことは以下の5つ。①うそをつくな。 ②かげぐちをいうな。③ごまかしをするな。 ④する前に考えろ. ⑤みんなで力をあわせろ。人間最低の線として「教え子たちはそれを守って生きてきた。しかし無着の教えを忠実に守ったがゆえに、浮かびあがりたくとも、浮かびあがれない人生を送らざるを得なかった」。佐野は庶民というものを一度でも真剣に考えたことがあったか、と落ち込む。

 それから佐野は、リンゴひとつ、ミカンひとつ売っているスーパーの店員やパートの女性たちの気持ちを書きたいと思いはじめ、それがダイエーの創業者中内功の人生をたどる『カリスマ』で結実する。佐野眞一は当代きってのノンフィクション作家である。在野の民俗学者、宮本常一に私淑していることはつとに知られている。宮本は、日本中を地球4周分歩き、膨大な写真を撮って記録した。その記録集を佐野がまとめている。

 ぼくにはほとんど関係ないGWだが、なにか1冊くらい読まねばと考える。佐野眞一は綿密な取材を重ねて書くが、文体が地味。でもこのGWは佐野の著作から選んでみたい。読売の基礎を築いた正力松太郎の評伝『巨怪伝』か『東電OL殺人事件』にしようかと迷って『東電OL』にした。慶応経済出のエリートOLは、どうして売春をするようになったのか、その人間形成をどのような取材によって浮き彫りにするのか、を知りたい。 


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