ペン森通信
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最初に届いた物資は棺だった
 東洋経済の木村記者がメールで、被災した上に原発事故の被害が重なった福島県相馬市の状況をレポートしてきた。もちろん、ガソリンも水も不足して物資が欠乏していることは他の被災地と変わらない。そこに10トントラックンに積んだ物資が届いた。それは200個の棺だった。トラックは荷降ろしをしてそそくさと引き揚げて行った、という。海には300~400体の遺体が浮かんでいるというから、いずれ棺は必要になるだろう。

 遺体の埋葬は火葬ではさばききれないため、土葬にせざるをえない。ドキュメンタリー『13階段への道』だったと思うが、全面的にヒトラーの戦争犯罪を扱ったこの記録映画に、アウシュビッツ強制収容所での連合軍の遺体処理シーンがあった。アウシュビッツはぼくも訪れたが、その残虐な惨殺のせいで記憶はいまでも生々しい。ペン森には卒業生が買ってきた英語版の記録ビデオがあったが、受講生は関心を示さなかった。残念至極。

 アウシュビッツの犠牲者は15万人から400万人と幅がある。連合軍が発見したとき所内にはやせ衰えたおびただしい死体があった。連合軍はそれを無造作にブルドーザーで穴のなかにひとまとめに落とし込んでいく。東日本大震災では自衛隊が土葬を行っているが、テレビで見ると隊員は直立不動で棺を見送っている。穴のなかで棺を受け取り、区分けされた地面にきれいに並べる隊員は敬礼をして待っている。敬虔そのものだ。

 こういう災害でしばしば非難の対象になるのがマスコミの取材である。安置された遺体をまたぐ若いテレビクルーが見受けられることもある。今回もまた取材ヘリコプターの騒音のために生存している被災者の発見に支障をきたすおそれがあると、官房長官が自粛を促していた。取材ヘリは被災者が「SOS」とか「水」とか、地面や屋上に書いて助けを求めていてもただ眺めるだけのように見える。

 しかし取材ヘリは救命ヘリではないから、しかるべきところに連絡するのだろう、と思いたい。人命か報道か、という議論が巻き起こったのは、93年にニューヨーク・タイムスに掲載されたスーダンの「ハゲワシと少女」の写真だ。飢餓に悩むスーダンに潜入したカメラマンは痩せてうずくまった少女の死をハゲワシがねらっている場面に遭遇し、シャッターを切る。これが世界的な議論にまで呼び、話題になった。

 カメラマンは何年かのちに自殺するが、非難のせいかどうかはわからない。かれはハゲワシを追い払って、少女が救護センターに行くのを確認する。その後、木陰で泣きつづけたというから、繊細な感受性をもっていたことはたしかだろう。取材現場では崩壊寸前の家の前でハゲワシのように、崩壊するのを当たり前に待つ。「人命か報道か」。答えは人命に決まっている。報道は人命ほど尊敬されない。今回も東電や政府追及が甘くなかったか。

 相馬市の海上に浮かんでいる遺体はまだ身元が確認されていない行方不明者である。死者・行方不明者は3万人に達するだろう。まだ被害の全貌はわからない。底知れない惨状だ。首都圏でも余震とみられる地震が頻発、スーパーの棚も空きが多い。被災地のことを考えれば、戦時中の「贅沢は敵だ」という標語を思い出す向きもあるだろう。いまこそ「もったいない」精神を発揮しなければ。節電で薄暗くても、日常生活になんら支障はない。

 

 

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