ペン森通信
カリスマも逝ってしまった
  ことしは押し詰まった12月9日になって、知り合いの大物が亡くなった。過激派の革マル派のナンバー2といわれた松崎明である。本人は、革マルから脱退したと言っていたが、そうだと思う。還暦60歳をすぎたとき、おれは60歳から新しい年齢を重ねる。だからこれで120歳までは生きられる、と高言していた。健康に対する気遣いは並みではなく、駅弁でも添加物のチェックは欠かさず、JRの駅弁は添加物が多すぎる、孫の世代に悪い、と文句をつけていたのを直接耳にしたこともある。

 亡くなったという知らせがあったとき、まさかと思った。120歳まで生きるはずだったのに、74歳の若さだった。松崎と面識をえたのは1991年ではなかったかと思う。ある会合で、すでにJR東日本の労働組合・JR東労組の委員長に就いていた松崎はこう言った。「国鉄時代、死にもの狂いで列車を止めてきた。今度は死にもの狂いで列車を走らせる」。それを聞いてぼくは松崎に手紙を出した。「その話を本に詳しく書いてもらえないか」と。すぐに返事があって、そのインタビューをまとめた。92年刊行の『鬼が撃つ』である。国鉄民営化反対から賛成に転じたのは、時代の流れと組合員の雇用を守るため、と語っている。

 『鬼が撃つ』を読んだ新右翼一水会の鈴木邦男から「松崎さんに会わせてくれないか」という手紙が届いた。松崎と鈴木は左翼と右翼、水と油、思想的にも運動的にも真逆の立場にある。70年闘争のころ「あいつをぶっ殺そうと思っていた」と鈴木は漏らしたことがある。松崎の労組委員長室の机には、JR東日本社旗や東労組の旗とともに日の丸も飾られていた。松崎は案外、底にナショナリストの根があるのでは、とぼくは考えた。2人はぼくの立ち会いで、ホテルの一室で面談した。

 2人は時計にたとえると、下の6からスタートして、右回りか左回りの違いでそれぞれ頂上の12を目指しているのではないか、という感想をもった。柔軟な発想をして温和な鈴木は以後、松崎だけではなく東労組とも親しくなる。松崎は憶えていなかったが、ぼくはかれが国鉄動力車労組(動労)の東京地本委員長をしていた75年のスト権奪還スト(スト権スト)のとき会ったことがある。まだ若かったぼくはストの最中、労働担当の先輩記者にポチのようにくっついて歩き、動労や国労本部などを回っていたのである。

 政府と官公労労働者とが、勝つか負けるかで対立したスト権ストは8日間続き、労働側は国民に支持されず敗北する。電車は動かないからぼくも新宿から竹橋まで徒歩で通った。先輩記者と新宿の連れ込み旅館に泊まったこともあった。先輩は隣室に客が入った気配があると、コップのふちを隣室側の壁にあてがい、底を耳にくっつけて様子をさぐった。寝ているぼくの顔にそのつど浴衣のすそをこすっていく。ぼくは革命前夜みたいに騒然としたスト権ストよりも連れ込み宿のことを思い出す。その先輩もすでにこの世にはいない。

 『鬼の咆哮 暴走ニッポン』というのは、ぼくがまとめた2冊目の松崎本。2003年イラク戦争に際して、侵攻した米ブッシュにただちに英ブレア首相、日本小泉首相が支持を表明した。平和運動家でもあった松崎はこの3トップを犯罪人のように非難する。これで余計、公安にねらわれるようになった、と本人は明かしている。松崎と最後に言葉を交わしたのは、去年隣り合わせしたどこかの男子トイレだった。「年をとると小便の最後の切れが悪くなるでしょ」「松崎さんもそうですか」。カリスマも老いてあっけなく逝った。            合掌





スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://penmori2007.blog108.fc2.com/tb.php/303-24058cce
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

瀬下先生

Author:瀬下先生
FC2ブログへようこそ!





最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する