ペン森通信
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達観すれば道が開ける
  内田百の『東京焼盡』という日記は昭和19、20年の東京空襲を凝視している。古い旺文社文庫に収められている。いまから66年前の昭和19年11月20日にはこう記してある。「11月20日月曜日。午過省線電車にて出社す。散髪。夕省線電車にて帰る。お酒が一週間途切れて昨夜は寝つかれず、夜中六回も小便に起きた。今日は美濃が三合持って来たので難有い」。百先生は明治22(1889)年生まれだから55歳のときの記述である。内田百はぼくが親しくした作家中村武志が師事していたので、弟子中村武志さんにならって先生と呼ばせてもらう。

 米軍B29戦略爆撃機による東京大空襲は19年11月24日、110機の来襲が初であったが、敵機の来襲を知らせる空襲警報がはじめて鳴らされたのは19年11月1日。20日の百日記は、まだどこかのんびりした気配が感じられる。省線電車というのはいまのJRの戦前の呼び名、戦後は分割されて民間企業になるまで国電と言った。国有鉄道の国電から国鉄改革によって民間のJRになった。国電はラッシュのひどさから「酷電」と悪口をいわれた。民間になったJR東日本は新愛称を公募して「E電」と呼ぼうとしたが、その後「E電」なんてだれも口にせず、あえなく消滅した。

 『東京焼盡』を読むと、百先生は愛すべき酒飲みであることが伝わってくる。19日1週間も飲んでなければ、そりゃ寝つけないだろう。その人柄のせいか、酒たばこが配給制度の下でも土産や差し入れで麦酒やお酒や葡萄酒が手に入るが、たちまち飲み尽くしてしまう。ぼくが19日の記述で最も同情を禁じえなかったのは、酒が切れたことではなく、小便だ。ぼくは55歳のときは、飲んでも飲まなくても朝まで小便に起きることはなかった、と記憶する。ところが70歳近くなってから、頻尿になった。不思議に飲まない日のほうが頻繁だ。6回ということはないが、2、3回は覚悟しなければならない。

 だから合宿へ行っても、ぼくは個室にしてもらっている。尿意を覚えて目覚め、寝ぼけて若者を踏んづけたあげくに別の若者の上に転倒したら、深夜の大騒動が持ち上がる。高齢になると排泄のコントロールがきかなくなると聞いていたが、たしかにぼくにもその兆候がある。百先生は55歳にして1夜6回である。絶倫の6回ならうらやましいが、小便6回では、先生はまだ若いのだし気の毒にすぎる。警戒警報で睡眠はしばしば寸断されるが、小便のことは空襲下の生死のはざま、それどころではなくなるのか書いてない。

 20年3月10日の東京大空襲は「眠ったかと思ふと十時三十分忽ち警戒警報なり・・・」と前夜9日夜の記録からはじまる。東京大空襲で使われた爆弾は焼夷弾。これは燃えやすくする薬剤が入っており、明らかに日本の木造家屋を焼き払うための爆弾だ。B29が325機東京上空に飛来して、279機が荒川、足立、葛飾、江戸川の下町を中心に38万1300発1783トンの焼夷弾を無差別投下した。折しも北西の季節風が吹き荒れて猛火は広がり、民間人を中心に死者行方不明者10万人という惨劇になった。原爆同様、許すべからざる戦争犯罪である。以後の空襲で百先生も焼け出されるが、「出なほし遣りなほし」と達観する。達観すれば新しい道が開ける。これが百先生の人生訓。深い。深すぎる。
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