ペン森通信
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主観ジャーナリズムで幸福に
 『文藝春秋』9月特別号に佐野眞一が「渡辺喜美 この男を信じていいのか」というインタビュー記事を書いている。渡辺は父親(美智雄=ミッチー)の遺産(票)でくっている一匹狼などと評され、自民党離党後まともに相手にされなかったが、ご存じ参院選で大躍進したみんなの党の代表。いまや総理大臣にしたいナンバーワンという調査結果さえある。この新しいリーダーのあまり知られていない過去を佐野は直接きいている。

 渡辺は栃木県立大田原高校時代、「エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』に感銘を受けました」という。ほかにもデヴィッド・リースマンの『孤独な群衆』が心に残る、と言っている。2冊とも名著だし、訳者が前者は日高六郎、後者は加藤秀俊という名だたる社会学者ときているから、ぼくも学生時代に読んだ。中身は憶えていない。これは60年代という特定の時代の青春にとって鮮度のある著作だったのだろう。イデオロギーがまだあったという意味ではなく、圧倒的な機械文明と大衆社会が露出したという意味で、だ。

 ところがぼくは、この2冊は学術書ではなく、幸福論に接するような気持ちで読んだ本だったように思う。学術書だって情緒的に読むくせがあるらしい、と最近、気づいた。そもそも記者、なかでも社会部記者は論理的というより情緒的である。大事件大事故があると1面に載るのを硬派、社会面の関連記事を軟派とよぶが、ぼくは軟派専門で硬派は、論理的な記者が書いたものだった。硬派は本記とも言い事実を冷静に、軟派は読者の心情に訴えるようなお涙ちょうだい的。そのような区分けがなされていた。ぼくが現役だったころから、硬派軟派の持ち味はほとんど変わってない。軟派記事の基準は幸不幸である。

 きょう8月13日の朝日、毎日はそれぞれが委嘱している有識者による自紙検証リポートを掲載している。58年ぶりに共同通信に再加盟して、12の地方紙から記事提供を受けることになった毎日は、取材余力を調査報道に振り向ける新たなジャーナリズムに挑戦中という。毎日はその独自性を称して「深堀り」という言葉を多用しているが、「深堀り」とは、どういう意味だろうか。発表ジャーナリズムに頼らないという、その志には共感する。ぼくが現役だったら、住み込み取材で泣かせるルポを書かせてくれ、と言うだろう。

 結局、「深堀り」は沢木耕太郎が登場した当時のニュージャーナリズムと同じではあるまいか。沢木はあまり情緒的ではなく、怜悧な筆致が特徴だが、記者にそういう文章術を求めるのは無理だ。情緒は日本人の特質でもある。普遍性がある。源氏物語が1000年も命脈を保ってきたのは、文学であると同時に日本人の情緒心に訴えてきたからにほかならない。文学も映画同様、主観の力で心を掴む。新聞は客観報道を強調するが、発表に依らないジャーナリズムをめざすのであれば、視点も素材選択も記者個人の主観に頼らざるをえない。ぼくは情緒に傾いた署名主観報道を主張したい。読者を1センチでも幸せにできればそれでいのだ。主観報道は幸福ジャーナリズムと言い換えてもよい。






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